2012年6月25日月曜日

NHKドラマ「陽だまりの樹」第1回若き獅子たちを見ました


 冒頭から黒船の映像を背景に手塚良庵の声でナレーションが読まれています。

 「嘉永六年、ペリー提督が率いる黒船が来航して、時代の歯車は大きく回った。翌年ペリーは再来航し、日米和親条約が結ばれた。200年に渡る鎖国は、この時終わりを告げる…」



 伊武谷万二郎が道場で剣術の乱取りをしている映像を背景にナレーションは続く…

 「……伊武谷万二郎……日本は幕末という激動の時代を迎えようとしていたが、剣に励む一人の若者にとって、それはまだ遠いものであった…」


 手塚良庵は、遊女の診察をしていた。良庵が「ああん……これはひどい…」と言うと、遊女は心配そうに「ええ…」と聞き返しました。良庵は、おどけたように「風邪だな…心配ないよ…」と答えました。遊女は「先生…」と言うと、良庵の膝を手で触り始めます。良庵が「おいおい、おまえさん…病人なんだぞ…」と言うと、遊女は良庵を誘うように「先生がご無沙汰だから病人になっちまったんだよ…」と言いました。良庵は、少し戸惑うように「えっ…」と言います。すると遊女は「薬代は、私の体で払うよ…」と言うと、着物を脱いで、良庵に抱きつきました。女好きの良庵もその気になってしまいました。


 良庵の声でナレーションが読まれます。

 「私、手塚良庵にとっても同様、開国した日本がこれからどこへ向かうのか想像すらできなかった…」

 道場で万二郎が立ち会いをしている映像を背景にナレーションが続く「…しかし、大きな時のうねりはやがて、我々を否応もなく呑み込んで行くのである…」

 ここで、満開の桜の木の映像を背景にして、陽だまりの樹と書かれた題字が出ます。



安政二年(1855年)二月……常陸府中藩邸の門の映像が映し出されています。

 良庵の声でナレーションが読まれます。「小石川傳通院裏の三百坂に、常陸府中藩主松平播磨の守の屋敷があった…」

 藩邸の門から、若手の下級藩士たちが並んで出て来ます。「……伊武谷万二郎は、隠居した父の後を継いで、出仕してまだ四カ月、俸禄は十五表二人扶持、家臣としては下層である…」

 武士たちは、門前の三百坂で腰を下ろして、上司の命令を待っていた。そこへ、善福寺の娘おせきが、花を持って歩いて来ます。万二郎は、いち早くおせきの姿をとらえ「おせき殿…」と独り言を言います。もう一方では、朝帰りの良庵が、大きな切り株の上に腰をおろしていました。



 ここで良庵の声でナレーションが入ります。「私と万二郎は、父親どうしが仲が良く、お互い顔見知りであった…」と…

 上機嫌で歌を歌っていた良庵が、おせきに気づいて歩み寄っていた。良庵が「おせきさん…」と言うと、おせきも「良庵先生…おはようございます…」と挨拶をしました。良庵が「今日はまた、一段とお綺麗で…」と言うと、おせきは、はにかみながら「そんな…」と言います。良庵が「お花のお稽古ですか…」と聞くと、おせきは「はい…」と答えました。おせきは、良庵の髪に刺さっていた、遊女の簪が気になって仕方がなかった。良庵はおせきの視線に気づくと簪を取り、バツが悪そうに「何だこれは…」と言うと、簪を捨ててしまいます。そして、笑ってごまかそうとしました。その様子を見ていた万二郎は「あの野郎…」と独り言を言います。その時、万二郎の上司が「用意はいいか…本日も三番手までに入らなかった者は、三百文取り立てる…早駆!」と言うと、下級の若手藩士達は「ウォー」と言いながら走りだしました。万二郎は、走りながらおせきと良庵を見ていました。それに気づいたおせきは、笑顔で万二郎に挨拶の礼をしました。良庵は、万二郎の後姿を見ながら「毎朝ご苦労なことだ…」と言います。





 江戸城では、常陸府中藩の下級若手藩士達が、正装に着替えて整列していました。上司が、三番手までに入れなかった若手藩士達から、三百問を徴収していました。若手藩士のひとりが「また三百文か…」と嘆くように言うと、上司は「殿の御沙汰だ…」と言いました。すると別の若手藩士が、上司に歩み寄って「勘定方…もう少しお手柔らかにお願いできませんか…」と泣きを入れました。すると上司は語気を強めて「何を申すか…かような試練を成すのも、その方たちを鍛え直す殿のお計らいだ!世情騒然たるおり、何時戦になるやも知れぬ…坂の一つや二つ満足に登れず、それで松平播磨の守様の家来と言えるか!…」と叱りつけました。


 上司は、万二郎に歩み寄ると「伊武谷万二郎…お主は今日も一番乗りだ!宜しい…」と言います。万二郎は、上司に一礼をしました。上司は、他の若手藩士達を振り返って「その方達も、伊武谷を見習え…」と言いました。若手藩士達は一斉に「はい」と言うと、上司に一礼をしました。上司が歩きだすと下級若手藩士達も続いて歩きだしました。その中のひとりが、万二郎を見ながら小声で「あんな糞真面目な奴を見習っていたら体がもたん…」と言いました。



 手塚良仙は、自宅の診察室で、手術道具を並べていました。そしてメスを手に取ると、じっと見つめていました。

 ここで良庵の声でナレーションが入ります「これが私の父、手塚良仙…蘭方医にして、常陸府中藩の藩医を務める…」と…

 良仙は、メスの手入れをしながら「良庵、己の分をわきまえろ!…女の尻ばかり追いかけよって!…」と叱りつけました。良庵は、火鉢で手をあぶりながらしかめっ面をして「父上の子ですから…」と言います。良仙は「口答えをするな!」と、また叱りつけました。そして、良庵の方を振り向くと「お前はまだ、半人前の医者なんだぞ…女遊びをする暇があったら、医学書の一つでも読んだらどうだ!そんなことで、大阪の適塾に通用すると思うのか!」と怒鳴りつけました。良庵は、神妙な様子で「はぁー」と返事をしました。しかし良仙は、襖の後ろに隠れている妻を意識して、良庵を叱りつけたようにも感じられました。



 良庵は、仏間で一人、朝食を食べていました。そこへ、母のお中が、お茶を持って入って来ました。お中は「しぼられたね…」と笑いながら言いました。良庵は、不機嫌そうに「毎度のことです…でも父上は、よく人のことを言えるよな…自分のことを棚に上げて…今でも母上のことを泣かせているでしょうが…」と言います。するとお中は「父上は、人一倍あなたのことを心配しているのです。たった一人の後継ですからね…」と諭しました。良庵は、不服ありげに「分かってますよ…」と言います。そして、何か思いついたように、仏壇に這い寄ると、引き出しから手塚良案殿と書かれた書状を取り出して「大阪に行ったら、心を入れ替えてちゃんと勉学に励みます。」と言います。お中は笑いながら「本当かしら…」と言いました。良庵は、拗ねたような顔つきで「母上も疑い深いな…」と言うと、書状を広げて、お中に見せながら「天下の適塾に入門出来るんですよ…遊んでいる場合じゃない…」と言いました。お中は笑顔で良庵を見ていました。




 万二郎は、江戸城の中門前の広場で、昼食を取るために弁当を開けると、中にミミズが三匹入っていました。万二郎は、そのミミズをじっと見ていました。


 万二郎は、弁当にミミズを入れたと思われる同僚とつかみ合いの喧嘩をしていました。隙を見つけた万二郎は、同僚を肩車で石段の下に投げ飛ばしました。そして万二郎は、倒れている同僚を背中越しに捉まえると、弁当に入っていたミミズを懐紙から取り出して「さあ食え…オレの弁当に入れたミミズだ…食い物ではないと言わせんぞ!」と言います。同僚は「わかった、勘弁してくれ」と言いますが、万二郎は「オレは十五表二人扶持だが、ミミズを食うほど餓じくはないんだ…せっかくだが…」と言いました。するとその時、同僚の若侍が走って来て「オーイ伊武谷!大変だぞ!…千葉周作先生が倒れられたぞ…」と言います。


 千葉周作とは、言わずも知れた北辰一刀流の創始者で、玄武館道場の主のことです。千葉周作は、水戸藩の剣術師範を務め、幕末に多くの志士を輩出した事でも有名です。



 千葉周作が倒れたことを聞いた万二郎は、神田お玉が池の玄武館道場に駆け込みました。

 千葉周作は、床に寝かされ、医師の診察を受けていました。その横には、高弟たちがすわり、師匠の診察の様子を見守っていました。また、縁側の障子が開け放たれ、軒先の中庭には、一般の弟子達が、立ったまま見守っていました。



 そこへ万二郎が「千葉先生…先生…」と大声を出しながら遣って来ました。万二郎の騒々しさに、弟子の一人が万二郎を捉まえて「静かにしろ!診察中だぞ…」と注意しました。それでも万二郎は、興奮したようすで「先生の御容態は…」と問い詰めます。弟子の一人が「わからん」と答えました。万二郎は「先生」と言うと、縁側ににじり寄うとしますが、弟子達に取り押えられました。万二郎は大声で「早くよくなってください…先生…」と叫びました。そして「私は、先生の口伝を頂きたくて入門したんです…」と言います。


 それを聞いた清河八郎が「口伝だと…お主は、何時入門した…」と聞きます。万二郎は「三日前だ」と答えました。清河は、呆れたような声で「三日前…」と言いました。その時、診察を終えた医師が縁側に出て来ました。清河が「先生」と言うと、医師は顔をほころばせながら「安心しなさい…峠は越えられた」と言うと、その場を去って行きました。弟子達は、ホッとした様子で口々に「ああよかった」と言います。万二郎も笑顔で「よかった」と言うと、力が抜けたのか地面に座り込みました。清河は、そんな万二郎を睨みつけていました。



 日が暮れて、万二郎が道場を出ると、門の横に清河が立っていました。清河は万二郎に「待て」と言います。万二郎は、その声に気づくと立ち止り、清河の方を振り返ります。清河は、歩み寄りながら「入門して三日と言ったな…」と言います。万二郎は「そうだ」と答えました。清河は「先生の口伝が得られるのは、何年後だと思っているのだ…」と言います。万二郎は、両手を組ながら「わからん…一年後かもしれないし、三月後にもらえたかもしれぬ…」と言います。清河は、鼻先で「ふん…笑わせるな…」と言いました。そして、万二郎を睨みつけながら「北辰一刀流を何と心得ておるんだ…免許皆伝まで、よほどのものでも十年かかるんだ…」と言います。しかし、万二郎も負けずに睨みつけて「やってみなければ、わからないだろう…もし、三月で免許皆伝になれたらどうする。」と言いました。清河は「よかろう…お主の、そのこうえんの腕とやらを拝見しよう。」と言いました。



 二人は、お堀端の空き地に場所を変えて、向かい合っていました。万二郎は、清河の目を睨みつけながら「オレは、常陸府中藩士伊武谷万二郎…あんたの名は…」と言います。清河も「庄内藩脱藩清河八郎…」と名乗りを上げると、刀を抜いて中段に身を構えました。万二郎も刀の柄に手を掛けて、抜こうとしたのですが、手を前に出して「待て」と言います。清河は、それを見て「おくしたのか…」と言います。すると万二郎は、真面目な顔をして「小便だ」と言うと、堀に向かって歩き出し、小便を始めました。


 清河は、呆気に取られた顔をして、万二郎を見つめていました。万二郎は「下城してからずっと、かわやへ行ってなかったもんだから…」と言います。清河はなめられていると思ったのか「こいつ」と言って、万二郎を睨みつけていました。

 万二郎は、小便が終わるとホッとした表情で元の位置に歩きだし「待たせたな」と言うと、刀を抜きました。清河は「なめるな」と言うと、万二郎に切りかかりました。こうして、真剣での二人の闘いが始まりました。万二郎の腕は、独学とはいえ、なかなかの腕前でした。



 万二郎の家では、父の千三郎と母のおとねが向かい合って内職をしていました。おとねが「あなた、根を詰めると体に毒ですよ」と言うと、千三郎は「うん…しかし、明日の朝までには仕上げんとな…なあに、わしが隠居を決めた折から、これくらいの内職は、覚悟したわい…」と言いました。おとねは微笑みながら「温かいの入れ直しますね。」と言うと、立ち上がり、お茶の用意を始めました。そして「万二郎は、遅いですね。」と言います。千三郎は「千葉周作先生が倒れられたと聞いたが…」と言いました。



 その時玄関の方で、物音がしました。おとねが玄関に様子を見に行くと、万二郎が帰って来ていました。おとねは、様子がおかしい万二郎を見て「万二郎、どうしたんです」と言います。万二郎が、刀傷を水で洗っている様子を見て「あなた、怪我をしているのですね…あなた!あなた!」と声をあげました。万二郎は、おとねに「大した傷ではありません…」と冷静な声で言いました。そこへ千三郎がやって来て「刀傷ではないか…誰にやられたと聞きます。万二郎は「ちょっとしたことで、清河という男に…」と答えました。千三郎は、慌てた様子で「おとね、良仙先生を呼んできなさい…」と言うと、万二郎の腕を取り、手ぬぐいで腕を縛って止血をしながら「それで、相手を切ったのか…」と聞きました。万二郎は、痛みを堪えながら「いや、邪魔が入ったので…」と答えました。千三郎は「まったく詰まらんことで切り合いをしおって……どうも、お前は喧嘩ぱやくていかん…まったく誰に似たんだ。」と言いました。


 その時、おとねが入口の戸を開けて、戻って来ました。おとねは「あなた、良仙先生がお留守なんで、代わりに息子さんが……お願いします。」と言うと、白衣姿の良庵が「はい、失礼します。」と言って入って来ました。

 良庵の姿を見た万二郎は、興奮した様子で「おまえ!」と言って、立ち上がろうとするのですが、千三郎に腕を握られていたせいか、倒れてしまいます。良庵も万二郎の顔を見て、ニヤッと笑いながら「おお…あんたか…さあ、見せなさい…」と言いました。万二郎は「やめろ…お前のような藪の治療は受けん…」と言って、動こうとするのですが、千三郎に止血のために腕を握られているので、思うように動けずに、また倒れてしまいます。良庵は、嬉しそうに「藪とは何だ…おとなしく見せろ…」と言うのですが、万二郎が暴れて、その勢いで後ろに倒れてしまいました。


 良庵は、そばにあった棒を手に取ると、立ち上がり「医者の言う事を聞け…」と言います。そして、万二郎の頭を棒で叩きます。万二郎は、頭を手で押さえて「あー…」と言いました。するとおとねが困惑したように「何をなさるんですか…」と良庵に言います。良庵は「こうすれば、頭の痛さに耐えかねて、腕の方の痛みが和らぐ、つまり、人は一度に二つも痛い所を感じないんです……ええ…水と焼酎を持って来ていただけますか…」と言いました。おとねは、慌てたように「は、はい…」と言って、部屋を出て行きます。良庵は「今から傷口を縫います。」と言うと、縫合の準備に取り掛かりました。

 万二郎は、うなり声をあげながら暴れようとしました。千三郎は、万二郎を押さえつけながら「万二郎、先生の言う事を聞きなさい。」と叱りつけます。すると万二郎は「ああ…」と言うと気を失いました。千三郎は「追い万二郎、どうした、確りしろ、万二郎…」と声を掛けました。


 良庵は、縫合が終わって、腕に包帯を巻きあげると「よし、もう大丈夫…」と言いました。万二郎は、意識を失ったままでした。おとねは、良庵に頭を下げながら「ありがとうございました。」と言います。千三郎も「いや…さすが良仙先生の御子息、なかなかのお腕前…」と、お礼を言いました。すると良庵は「初めてにしては、上手く行きました。」と言います。千三郎は、驚いた表情で「初めて…」と言いました。



 良庵の自宅には、奥医師が二人来ていました。良仙と良庵が外出中なので、お中が相手をしていました。

 奥医師の多紀誠斉は「このところ良仙殿は、毎晩遅をござろうな…」と言います。お中は、含み笑いをしながら「はい」と答えました。誠斉は「良仙殿は、外で何をなさっておいでかご存じか…」と尋ねます。お中は「いいえ…」と答えました。すると多紀元迫が「よからぬ相談をしているのです。」と言います。お中は、身を乗り出すようにして「よからぬ相談…」と聞き返しました。

 誠斉は「仲間の蘭方医達と、こともあろうに牛の痘瘡を江戸中の人間に、植えつけようとたくらんでいるのじゃ…」と答えました。元迫も「つまり、獣の病気を人様にうつすのです。それも、オランダか何処かの療法か存ぜぬが…それをこの国の人間に、無理やり押し付けようとするなど、夷狄かぶれも好いところじゃ…」と、語気を強めて言いました。その様子を、万二郎の治療が終わって帰宅した良庵が、襖の後ろで立ち聞きしていました。

 さらに続けて誠斉が「しかもその嘆願書、ご老中に上伸しようとしておる。」と言いました。するとお中が「うふふふ……」と笑い出しました。それを見て元迫は怒りをあらわに「何がおかしいのです」と大声をあげました。お中は、笑いながら「あ、いいえ…主人はそういうことをしておりましたの…いや…私はてっきり、お仲間たちと芸者遊びかと…うふふふ…一安心致しました…」と答えました。誠斉は、お中の態度に怒りを感じ「何が一安心じゃ…もはや良仙殿の振舞いを見過ごす訳にはいかんのじゃ…」と言いました。

 その時、襖を開けて良庵が部屋に入って来ました。お中が「良庵」と言うと、良庵は立ったまま、誠斉を見据えて「何でー…黙って聞いてりゃ…奥医師のくせに、何も分かってねえんだな…牛の痘瘡を植えると言うのはな、種痘といって、イギリスのジュンナーっていうのが始めた、立派な予防法だ…」と言いました。誠斉は座ったまま良庵の顔を見上げて、不機嫌そうに「誰だお主は…」と言いました。良庵は、誠斉の前に座ると「良仙のせがれ、手塚良庵だ…」と答えました。誠斉は、良庵の顔を見据えて「無礼な口を聞くな…私は奥医師の多紀誠斉であるぞ…」と言います。すると良庵は、笑いながら「奥医師が聞いて呆れるは……ええ…御上は、脚気だそうじゃないか…その脚気も治せねい漢方医は、おとといきやがれ!」と、啖呵を切りました。



 誠斉が、血相を変えて「なに!」と睨みつけると、良庵はさらに「ここは蘭方医の家だ!長居するとメスが飛んでゆくぜ…」と毒づきながら、右手を懐の中に入れて、メスを取りだそうとしました。それを見た誠斉と元迫は、立ち上がり、いそいそと部屋を出て行きました。良庵が懐から手を出すと、良庵の手には饅頭が握られていました。良庵は、その饅頭を無表情で、パクリと一口食べました。

 誠斉と元迫が門を出ると護衛の武士が待ち受けていました。誠斉は、苦虫を噛み潰した表情で、元迫に「無礼な男だ…」と言います。元迫は「どうします…」と尋ねました。



 万二郎は、手に花を持って、麻布の善福寺に来ていました。家の中では、おせきが、お花を生けていました。万二郎は、その様子を庭からじっと眺めていました。そこへ良庵がやって来て、万二郎の肩を叩くと「何で、あんたがここにいるんだよ…」と言います。万二郎は、てれがあったのか、良庵の目を睨みつけながら「墓参りだ…叔父の…」と言うと、歩いてその場を立ち去ろうとしました。良庵は、万二郎の後姿に「そっちは廊下…」と声を掛けました。万二郎は慌てて振り向くと良庵に「お前こそ何をやっている。」と言いかえします。良庵は「オレは、おせきさんに用があってな…ははあ…よめたぞ…お前さんもおせきさんが目当てか…墓参りなんて口実だろう…」と言います。万二郎は、図星だったのか、怒った表情で「何を言っている…オレは本当に叔父の墓参りに…」と言いました。




 二人の話声に気づいたのか、おせきが庭に下りて来て「あら、良庵先生、伊武谷様も…」と挨拶をします。そして「お二人は、お友達でいらしたんですか…」と尋ねます。すると気真面目な万二郎は、良庵を押しのけて、おせきの顔を見ながら「バカな…こんな奴とは無縁でござる…」と言います。良庵も万二郎の体を押しのけて「とんでもありません。ただの患者です。」と言いました。

 万二郎は、良庵を睨みつけて「いつオレが、お前の患者になった…」と怒鳴りつけました。良庵は「傷を治療して遣ったではないか…」と言い返しますが、万二郎は「頼んだ覚えはない…」と大声をあげました。おせきは、そんな二人を笑いながら見ていました。
 良庵は「そんなことより、おせきさんにお話があったんです…」と言います。おせきは「何です。」と聞き返しました。良庵は「実は私、大阪に発つ事になりました。」と言います。おせきは、驚いたように目を丸くして「大阪」と言います。良庵は「はい…緒方洪庵先生の適塾に入門することが決まったんです。」と言います。するとおせきは、笑顔で「まあ…それはおめでとうございます。」というと、深々と頭を下げました。良庵は「ありがとうございます…しかしそうなると、あなたに一年や二年お目に掛かることが出来ません。私の留守中、変な虫がついて、あなたの心に迷いが起きぬよう、今日は是非ともはっきりとしたお返事を…」と言います。おせきは、驚いた表情で「えっ」と言います。


 その時、落ち着かない様子で、耳をそばだてていた万二郎が「ちょっと待て…勝手なことばかりほざきよって…おせき殿が困っておいでじゃないか…」と、口を挟んで来ました。良庵は「変な虫とは、こういう男のことを言うんです。」と言うと、万二郎の胸を押さえて、おせきから引き離しました。すると万二郎が怒って「何だと…」と言うと、二人はつかみ合いになりました。おせきは、驚いた表情で二人に「おやめになって…あの…実は…父は常々申しておりますの…この寺の跡目を継ぐ方が欲しいと…」と言いました。二人はつかみ合いをしたままおせきを見て、困った表情で「跡目…」と言いました。



 万二郎と良庵の二人は、善福寺を出ると歩きながら話をしていました。


 万二郎は「つまり、おせき殿と夫婦になりたいのならば、坊主にならなければということか…」と言います。良庵は「参ったなあ…医者が坊主に鞍替えするなんて、洒落にもならないな…」と言います。万二郎は「お前がしつこく言うからだ…」と言います。良庵は、少し考えて「おい、待てよ…そうか…これは謎掛けかもしれないな…」と言います。万二郎は「謎掛け…」と聞き返しました。良庵は「もしかすると、おせきさんは、オレの心を試しているのかも知れない…例えば坊主になってでも、おせきさんと夫婦になるというくらいの強い気持ちを望んでいて、実際は坊主にならなくてもいいのかもしれない。きっとそうだ…よし…もう一度だ…」と言うと、振り向いて善福寺へ戻ろうと走って行きました。万二郎は「おい待て!抜け駆けするな!」と呼びとめます。

 良庵は立ち止ると「おせきさん…おせきさん…」と独り言を言いながら、おせきと会って、どう話すかを考えていました。その時、竹林から三人の武士が現れました。武士の一人が「手塚良仙のせがれか…」と言います。良庵は「そうだが…」と答えました。すると別の武士が「気の毒だが、故あって、その右腕もらい受ける…」と言うと、三人の武士は一斉に刀を抜き、良庵に切りかかりました。良庵は、逃げ回りながら「右腕どころか、左腕も御免だよ…」と言います。しかし良庵は、つまづいて倒れてしまいました。武士たちが良庵に斬りかかろうとすると、後ろから万二郎がやって来て「待て」と言うと、刀を抜いて武士たちに斬りかかりました。万二郎は、良庵を起こして助けようとしますが、武士の一人が「邪魔立てするな!」と叫びながら、万二郎に斬りかかって来ました。万二郎は、懸命に応戦しました。そして、武士二人を斬り倒しました。その様子を見て、武士の一人が臆したのか、走って逃げて行きました。

 良庵は、斬り合いが終わったことを見定めて、万二郎の元へ駆け寄り「大丈夫か…」と言います。万二郎は、刀を鞘に納めると、悲壮な表情で「初めて人を斬った…」と言いました。そして「どうしてお前が狙われているんだ…」と良庵に聞きました。良庵は「さあ…」と答えます。その時、斬られた武士の一人が、うなり声をあげて動きました。万二郎は「おい…誰の差し金だ…」と言うと、奥襟をつかんで、武士の顔を見ながら「履いてしまえ…」と言いました。武士は息を引き取る前に「多紀誠斉…」と言いました。

 それを聞いた良庵は、驚いた表情で「バカな…いくらなんでもそれはひでえ…」と言います。万二郎は、落ち着いた声で「何者だ、多紀誠斉というのは…」と聞きます。良庵は「奥医師だ…この間うちに来て、あんまり融通の利かないことを言うから、追い出してやったんだ…」と答えました。万二郎は「それだけで…」と言います。良庵は「最近、異国の医学書がどんどん入って来て、オレ達蘭方医は、技術と知識が上がった…漢方医達は、それが面白くないんだ…今、オレの親父達が、痘瘡の治療法を御上に上伸しているのだが、これはその嫌がらせかも知れない。」と言います。万二郎は「すると、漢方医と蘭方医の戦というわけか…」と言いました。良庵は「あんたを巻き込んですまない。番所には、オレが届けておくよ。」と言いました。万二郎は「確かに、面倒なことに巻き込みやがったな…こいつら、オレの通っている道場の兄弟子どもだ…」と言います。良庵は、困った表情で「なに…」と言います。万二郎は立ち上がると、死体を見つめながら「今度は、こっちの戦がおっぱじまるぞ…」と言いました。



 玄武館の道場では、師範代と万二郎が対峙して座っていました。師範代は「伊武谷君、君が斬ったのは当道場の門人で、君の兄弟子だ…門弟たちの中には、君を斬ると言って息巻いている者もいる。」と言います。万二郎は、師範代を見つめながら「だろうと覚悟してまいりました。逃げも隠れもいたしません。」と言いました。師範代は、静かな口調で「潔い態度だ」と言います。そして師範代は、道場の入口の方を向いて「入れ」と言いました。すると門人達が、稽古着姿で次々と道場へ入って来ました。


 師範代は、語調を強めて「諸君、当道場において、木剣による決着を許す。両名とも、勝敗の如何に関わらず、以後一切を水に流すこと…立ち会いの者も同様である。」と言いました。すると門人全員が「はい」と言いました。

 万二郎は、稽古着に着替えて、門人の代表と立ち会っていました。その時、良庵が道場にやって来て、片隅から成り行きを見つめていました。

 門人の代表が万二郎に打ち込んだ瞬間、万二郎は木剣を前に突き出しました。万二郎の木剣は、相手の腹部にまともに当たり、門人は大きく付き飛ばされてしまいました。門人達は声をあげながら、突き飛ばされた門人のそばに近寄り、介抱し始めました。その様子を見て、審判をしていた武士が「それまで…」と声を掛けました。

 突き飛ばされた門人は、別室に運ばれて良庵の診察を受けていました。良庵は、慎重に腹部の触診をしていました。その様子を心配そうな表情で門人達が見つめていると、良庵は険しい表情で「臓腑が破れているようですね…」と言います。門人達は、口々に心配そうな声で「破れている…」と言います。良庵は、寝かされている門人の手を取り脈診をしました。そして、険しい表情で首を横に振りました。門人達は一斉に、診察を受けている門人に近づいて「そんな…克己さん…」と口々に声を掛けました。良庵は静かに立ち上がって、その様子を見ていました。

 万二郎は、一人道場に残っていました。万二郎は、両手で猫を高々と抱えあげながら「腹が減っておるのか…そうかそうか…」と言うと、猫を抱えながら寝そべって「あとで美味いものを食わせてやるからな…」と言うと、指で猫の頭をなでていました。そこへ、審判をしていた武士がやって来て「伊武谷君、逃げろ…」と言いました。万二郎は「えっ」と聞き返しました。すると武士は「このままでは、おさまりそうにない。門弟たちは、さっきは水に流すと誓ったが、いずれ執念深く君を追いまわすだろう…同門でありながら、何度も血を見ることになる…江戸を離れて、しばらく見を隠すんだ…」と言いました。万二郎は、鋭い眼光で「冗談じゃない!何でオレが身を隠さなければならないんだ!」と言います。審判をした武士が「聞け、伊武谷君。殺されるぞ…」と言います。万二郎は「相手になってやる」と言いました。



 その時、「伊武谷万二郎」と呼ぶ声が聞こえて来ました。門弟たちが続々と道場へ入って来て、万二郎に「顔をかせ!」と詰め寄りました。万二郎は、立ち上がると顔をかせと言った門弟を睨みつけて、一歩も引きませんでした。すると門弟たちの後ろから「どうするおつもりですか!」と言う声が聞こえて来ました。門弟たちは、声のした方向を振り向きました。審判をした武士が「小野君」と言うと、門弟の一人が小野に「このままでは気がすみませぬ」と言いました。小野鉄太郎(後の山岡鉄舟)は、門弟たちを見回して「たった一人を大勢で…それでも千葉道場の門人ですか…事と次第によっては、私がこの人の助太刀をしますよ…」と言いました。


 門弟たちは、驚いた表情で「そんな…」と言います。小野は「この人…私に預けて頂けませんか…」と言いました。すると審判をした武士が「小野君なら安心だ…どうだ諸君…」と言うと、門弟たちはそれ以上、何も言うことが出来ませんでした。万二郎は、そんな門弟たちを見つめながら「おいおい…なんだよ…何を勝手に決めている…」と言います。そして、小野を見つめながら「だいたい、あんた誰だい…」と言いました。小野は万二郎の方に向きを変えると「申し遅れました。小野鉄太郎です。」と、丁寧に頭を下げて挨拶をしました。万二郎は、驚いた表情で「鬼鉄」と言いました。

 その様子を道場の障子戸の影から見ていた良庵は「ばかばかしい…だから侍っていう奴は嫌いだ…面目だの意地だのと言って…命を粗末にしやがる…ああ…くだらねえ…」と、独り言を言うと、その場を立ち去って行きました。



 万二郎と小野鉄太郎は、居酒屋にいました。万二郎は小野に酒をつぎながら「千葉道場で、不世出の剣豪と呼ばれる人と酒を酌み交わせるとは、光栄の至りです。」と言います。小野は、つがれた酒を飲み干すと「こちらこそ…」と答えました。そして「あなたには、邪気がない…無心の境地と言っていい…」と言います。

 小野は万二郎に酒をつぐと「三度死を決して、しかも死せず…あなたがまさにそれだ…」と言いました。万二郎は、嬉しそうに「それは、藤田東湖先生の言葉でしょう…先生の回転詩士は、すべて覚えています。」と言います。小野は「そうでしたか…私も東湖先生を敬愛しています。黒船が来航して以来、この国は大きく変わりつつあります。」と言いました。

 万二郎は、つぶやくように「尊王攘夷…」と言いました。小野は「もはや、各派の利を考えている時ではない…日本が一つにまとまって、ことにあたらねば…いずれ異国に攻め滅ぼされてしまう…そう思いませんか…」と言います。万二郎は、うつむきながら「いや、オレはそういう難しいことは、よく分からないんだ…だが、今が大変だと言うことは分かる…自分も何かしなければと思うが…さて、何をしたらいいのか…」と答えました。小野は万二郎の目を見ながら「東湖先生のお話を伺いに行きませんか…」と言います。万二郎は、嬉しそうな顔で「お会いできるんですか…」と尋ねました。



 万二郎は、ほろ酔い気分で回転詩士を暗唱しながら橋の上を歩いていました。「三たび死を決して、しかも死せず。二十五回刀水を渡る。五たび閑地を乞うて閑を得ず。三十九年七処に徙る……」と…

 万二郎が橋を渡りきると、書籍を商う商人が、道端に書籍を落として散らばしていました。万二郎は、それに気付くと、拾い集めて商人に渡しました。万二郎は上機嫌に笑って、立ち去って行きました。



 良仙の家の門を叩く音が響いていました。良仙が「どなたかな」と言うと「先生にお頼み申す」と言う声がしました。良仙が門を開けると、浪人風の侍と頭巾をかぶった女が立っていました。浪人風の侍は、良仙の顔を見ると「この女を診て頂きたい」と言います。

 男と女は診察室に通されていました。お中が、手を洗う為の水を桶に汲んで持って来ました。良仙は、二人に「どうぞお楽に…」と言うと診察の準備をしていました。そして「辛ければ、横になりなされ…」と言いました。女は、診察台に腰をおろしました。良仙は「遠慮なくの…」と言うと「まず、お名前を伺いましょうか…」と言いました。


 すると、浪人風の侍が「この者は、さと…拙者は夫で、丑久保陶兵衛と申す…」と言います。良仙が、女の姿を見回しながら「うん…どこが悪いのかな…」と聞きました。夫が静かな口調で「顔をまず見てもらいたい…さと…」と言うと、さとは、かぶっていた頭巾を外しました。

 さとの両頬は、薬疹のような、赤茶けた色をしていました。良仙は、その患部を見て、驚きの表情を隠しませんでした。陶兵衛は「一年あまり前、身ごもって妻をある医者に診せて…その医者はすぐにも産ませた方がよいと言い、何かの薬を飲ませた。だが、一向に産まれる気配なし、翌日は、けいれんを起こしたのだ…それで、うろたえた医者は、妻の陰部を切りさき、無理やり赤子を引きずり出した。」と説明しました。

 良仙は、さとに「診せてもらえますかな」と言います。良仙は、里を診察台に寝かせて、さとの体に白い布をかぶせて「膝を曲げますぞ…」と言います。良仙は灯りを寄せて、白い布を捲り上げて、患部の診察を始めました。良仙が陰部に手を入れると「うあ…これはひどい…こんな無茶苦茶な手術をしたのはいったい何処の誰ですか…」と言いました。


 陶兵衛は「本所の熊岸という蘭方医です。」と答えました。良仙は、さとに「さあ、もういいですよ…」と言うと立ち上がり、さとの足を延ばして、白い布をまたかぶせて遣りました。その時ちょうど良庵が帰って来ました。良庵は、廊下から診察室の様子をうかがっていました。

 陶兵衛は「切開はしてみたが赤子は死んだ、その上妻は二度と子を産めぬと言われた…しかもその手術の後、二ヶ月もした頃、妻の顔にこのようなあざが…」と言いました。良仙は、手を洗いながら「薬のせいでしょう…で…なぜ、その医者に責めを負わせなかったのです。」と言いました。陶兵衛は「もちろん行ったとも…ところがそいつは夜逃げをして、もぬけの殻だった…」と言います。良仙は「はあ…」と溜息をつくと「それは御災難じゃったなあ…医者の風上にもおけん奴だ…」と言いました。陶兵衛は「先生もそう思うかい…」と言います。良仙は短く「うん」と答えました。

 陶兵衛は「そこで先生、妻を不憫と思いならば、どうかまた子どもを産める体に治してやってもらいたい。同じ蘭方医の責めとして…」と言います。この様子を良庵は、真剣な表情で見つめていました。そこへお中が心配そうな表情でやって来ると、二人は視線を合わせると黙って頷きあっていました。

 良仙は「いや…遺憾ながら、ここまで荒らされておると、もう手がつけられんでなあ…」と言います。陶兵衛は「先生は、常陸府中藩の藩医…界隈では有数の名医と聞いております…治せるはずだ…」と言いました。良仙は「うん…いじれば、かえって命が危ない。諦めなすった方がいい…」と答えました。陶兵衛は、語気を強めて「いや…どうあっても、元通りにしてもらおう…この刀に掛けて…」と言うと、刀を良仙の顔の前に突き出していました。お中は、驚いた表情で、その場から去って行きました。良庵は、心配そうな表情で「親父」と言うと、診察室の中に入って来ました。

 良仙は、陶兵衛の顔をじっと見つめて「いくら蘭方医と言っても…出来んもんは、出来ませんわい。」と語気を強めて言い返しました。陶兵衛は、思いつめたように「治さねば斬る。」と言いました。すると、診察台に寝ていたさとが、起き上がり「もう好いんです。あなた…」と言いました。良仙が諭すように「こういう悪い奴は、御上が罰して下さろう…どこに逃げても…天下は狭いもんじゃでな…」と言うと、陶兵衛は、語気を強めて遮るように「そんなことは、どうでもいい…治せるのか…治せないのか…」と言いました。良仙は、毅然とした態度で「治せんもんは、治せませんわい。」と言いました。

 陶兵衛は、良仙の顔をじっと見つめて「でわ、斬る」と言いました。その時、良庵が良仙の前に出て、体を貼って良仙を守ろうとしました。さとは、陶兵衛に「あなた、やめてください。」と言うと、診察台から降りて、陶兵衛の腰を後ろからつかみ止めようとしました。しかし陶兵衛は、刀の柄に手を掛けて、良庵、良仙親子ににじり寄って来ました。丁度その時、万二郎がやって来て、良庵・良仙親子と陶兵衛の間に割って入って、陶兵衛を睨みつけました。しばらくの間、睨み合いが続くと、陶兵衛は、刀の柄から手を離し、陶兵衛とさと夫婦は、帰って行きました。


 それまで毅然としていた良仙は「はっ…いや…」と溜息をつくと、玄関の上がり口に座り込んでしまいました。そして「あははは…」と笑うと、万二郎の方を振り向いて「助かったよ、万二郎さん…」と言いました。万二郎は「外を歩いていたら、奥さんが血相を変えて飛び出して来て…」と言いました。すると良庵が、後ろから出て来て「乱暴者もこういう時には役に立つんだなあ…」と言うと、万二郎の顔を見つめました。万二郎は、癇に障ったのか「なに!」と言うと、良庵を睨みつけました。良仙は立ち上がり「おいおい、命の恩人に何ていうことを言うんだ。お前だって、助けてもらったんだろうが…」と言いました。しかし、二人の睨み合いは続いていました。良庵は、不服そうな表情で「そうでした…これは失礼いたしました…酔いが覚めてしまった…飲み直そう…」と言うと、また家を出て行きました。そこへ、お中がやって来て「これ良庵…」と声を掛けるのですが、良庵は無視して行ってしまいました。良仙は「不肖の息子で面目ない…」と言うと、万二郎に頭を下げて謝りました。万二郎が「いや…」と言うと、良仙は「どうだろう万二郎さん、ひとつアイツの根性を叩き直してくれんかの…」と頼みました。万二郎は良仙に視線を合わせると「私がですか…」と聞き返しました。



 万二郎は、良庵を無理やり引きつれて、市中を歩いていました。良庵は「何だよ…どこに行くんだよ…」と、反抗するのですが、万二郎は良庵を握った手を離さずに「水戸藩側用人、藤田東湖先生のお屋敷だ…」と言うと、振り向きもせずに歩いて行きました。良庵は「何でオレが行かなければいけないんだよ…帰る…」と言うと、万二郎の手を振り払い、来た道を戻って行きました。すると万二郎が「逃げるな!」と言って、良庵をつかみ止めようとして、もみ合いになりました。その時、遠くから小野鉄太郎の声が聞こえて来ました。小野は「オーイ、万さん…万さん…」と、万二郎のことを呼んでいました。万二郎はそれに気づくと、良庵の手を握ったまま「やあ、鉄さん…」と言いました。



 三人は、東湖の屋敷の座敷に通されていました。万二郎は東湖に「常陸府中藩士、伊武谷万二郎と申します。お目にかかれて、無情の光栄に存じます。」と、挨拶をしました。良庵も「医者の手塚良庵です。」と言いました。東湖は、落ち着いた様子で「藤田東湖です。」と言うと、一礼をしました。すると小野鉄太郎が「今日は、先生の御高説をうかがいにまいりました。」と言います。東湖は「御高説…」と聞き返しました。そして「何なりと…」と言います。

 万二郎は「先生、教えて頂きたいのです。黒船が現われて以来、この国は、大きく揺れています。私たちは、何をすればいいのでしょうか…」と尋ねました。東湖は立ち上がり、座敷の障子を開けて、庭の桜の木を見ながら「この桜の木、家康公、江戸ご入府のおり植えられ、以来徳川三百年を生きてきた。陽当たりのよい、風も穏やかな太平の世をぬくぬくと安泰を保って来たように見える。が…実は、この中は、白蟻と木食い虫の巣とかしておる…もう、十年はもつまいな…徳川の世も、この陽だまりの樹のようなものだ…」と言いました。

 東湖は、いつの間にか庭に下り、万二郎と良庵は、お縁に座っていました。

 万二郎は「陽だまりの樹…」と独り言を言います。東湖は、さらに続けて「安泰の時は、人は怠ける…幕府の中でも、己がことしか考えず、利をむさぼる獅子身中の虫が湧いておる。このままでは、日本は滅びるかもしれん…」と言います。そして、東湖は二人を見て「幾つになられた…」と聞きました。万二郎は「二十六です。」と答えました。良庵は「二十九です。」と答えました。東湖は良庵に視線を合わせて「手塚殿は、なぜ医者になられた…」と聞きます。良庵は驚いた表情で「はあ……それは、人を助けたい…人の役に立ちたいと思いまして…」と答えました。東湖は良庵を見つめながら頷いて「毛氏曰く、天まさに大任をこの人に降ろさんとするや、その筋骨を労し、その身を風貌にすると…苦しむがよい。苦しめば苦しむほどよいと申しておる……おそらく日本は、未曽有の大事件に見舞われよう…貴君達は、枯れ果てた大樹の最後の支えになってもらいたいなあ…」と言いました。万二郎も良庵も真剣な眼差しで東湖の話に聞き入っていました。





 万二郎と良庵は、東湖の屋敷を出て市中を歩いていました。万二郎は良庵に「なんだいなんだい、やけにおとなしいじゃないか…為になったろう…」と言いました。良庵は、神妙な顔をして「東湖先生に嘘をついた…」と言います。万二郎は「うそ」と聞き返します。良庵は「医者になったのは、親父が医者だったからだ…人の役に立ちたいなんて、そんな大層なことを考えたわけではない…何となく医者になった…それだけだ…嘘だってことは、先生に見抜かれていた…恥ずかしい…」と言うと、橋の上で立ち止まり、欄干に手を置いて、遠くを眺めていました。万二郎は「だったら、これから人の役に立つような医者になったらいい…」と言います。良庵は素直な心で「来てよかったよ…」と言いました。万二郎は「ああ…だろう…」と言いました。



 良庵は、万二郎の方を振り返ると、欄干に背を持たれながら「オレは幕府がどうなろうと知った事ではない。でも、東湖先生が言ったことは、医学の道にも通じるところがある。虫食いだらけの桜の樹は、奥医師たちと同じだ…己の利を守る為だけに、西洋の新しい技術や知識に目を向けようとしない…連中が力を持っている限り、助かる命も助からん…このままじゃ、日本の医学は駄目になる。」と言いました。すると万二郎が「珍しく好いことを言うじゃねえか…」と言います。良庵は「俺だって、女のことばかり考えている訳じゃない…」と言いました。万二郎は、間髪入れずに「お前が変えろ…」と言いました。良庵は「ええ……」と言います。万二郎は「大阪の適塾に行くんだろう…勉学に励んで、日本一の蘭方医になって、駄目になりそうな日本の医学を変えろ…一人でも多くの命を救え…」と言いました。良庵は「ああ…そのつもりだ…人のことより、自分はどうなんだ…ふん…斬り合ってばかりじゃ、この先命が幾つ有っても足りないぞ…」と言いました。万二郎は、後ろを振り向くと、沈み始めた夕陽を見ながら「オレは、倒れかかった大樹の支えになる…」と言いました。



 ここで良庵の声でナレーションが入ります。「思えば、この時、万二郎は一生で何をやるべきか、おぼろげながらにつかんだに違いない…」と…

 良庵も万二郎と並んで夕日を見ていました。そして「オレは、今日限りに女を絶つ…一人前の医者になる為に…」と宣言しました。万二郎は、良庵に視線を合わせて「誓うか」と聞きました。良庵は「誓う」と答えました。

 しかし、良庵の女遊びは止まりませんでした。遊郭で酒を飲み、歌い、踊りました。良庵が朝帰りをして三百坂を歩いていると、常陸府中藩の若侍たちが、いつものように走る前の点呼を受けていました。上司が「本日も遅れを取ったものから三百文を取り立てる。用意はいいか…」と言いました。それに気づいた良庵は、万二郎に気づかれぬように道のわきにそれて逃げようとしました。しかし万二郎は、確りと良庵の姿を捉えていました。万二郎は「あのバカ…また朝帰りか…」と独り言を言います。その時「はや駆!」と言う上司の声がしました。若侍たちは「オー…」と言うと、一斉に走り出しました。良庵は、後ろを向いて知らぬふりをして、若侍が通り過ぎて行くのを待っていました。そして「明日から女をたてばよい…」と開き直って独り言を言いました。万二郎は、今日もまた先頭を走っていました。


 第一回若き獅子たちは、ここで終わりました。





 このNHKドラマ「陽だまりの樹」の原作者は、漫画の神様、手塚治虫氏です。手塚家は代々医者の家系で、手塚氏自身も大阪大学医学専門部を卒業されて、医師の免許を持っていらっしゃいました。晩年には、博士号も取得されたように聞いています。ただ、学生時代には、すでに漫画家として活躍されていましたので、医師を職業とはされていません。その漫画の神様が、ご自分の御先祖様の蘭方医、手塚良庵の目を通して、幕末から明治維新に掛けての激動の時代を描いた作品をドラマ化した物です。

 適塾で同門の福沢諭吉(慶応大学創始者・一万円札肖像)の残した文章に、手塚良庵は、お酒と女遊びをして、適塾をよくさぼっている…と書かれているそうです。そんなご先祖様を漫画の神様が、どのように表現しているのか楽しみです。

 漫画と言えば、今世界中を席巻している現代日本のニューカルチャーですが、現代の漫画を確立された方が手塚治虫氏です。代表作も多数あり、鉄腕アトム・ジャングル大帝・ブラックジャック・リボンの騎士・アドルフに告ぐ・ブッタ・火の鳥…あげるときりがありません。科学や大自然をテーマにしたものから、政治や宗教をテーマにしたものまで、あらゆるジャンルの作品がありますが。何といっても鉄腕アトムが有名です。未来都市や科学技術をテーマにしたものですが、ロボットアトムを通して、人間愛を描いた作品です。

 鉄腕アトムは、半世紀以上も前に描かれた作品ですが、高層ビル街・動く歩道・人工頭脳二足歩行ロボット…すべて現代社会を予知していました。予知と言うよりは、鉄腕アトムを読んだ世代の科学者が、手塚治虫ワールドにあこがれて、研究開発したと言っても過言ではないと思います。

 また、ジャングル大帝と言う作品がありますが、アフリカの動物の世界を擬人化した作品ですが、ライオンキング(ディズニー)の盗作問題は、あまりにも有名です。この盗作問題について、ウィキペディアのライオンキングのページには次のように書かれています。

 本作発表の前後、手塚治虫による1960年代のテレビアニメ『ジャングル大帝』とプロットやキャラクター、またいくつかのシーンが酷似しているという指摘がアメリカのファンやマスコミから提示された。日本からも里中満智子450以上の抗議がディズニーに送られた。

これに対しディズニーは当初、製作者は『ジャングル大帝』を知らず、偶然の一致に過ぎないと見解を示した。しかしサンフランシスコ・クロニクルが主要スタッフにインタビューを行ったところ、8名中3名が『ジャングル大帝』を知っていると答えた。また、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞している同作を、アニメ映画に携わる者が知らない方が不自然とも指摘された。ディズニーは反論として、ライオン・キングは『バンビ[注釈 1]シェイクスピアの『ハムレット』から着想を得たと説明した。また、アフリカを舞台にすれば登場する動物の種類は限られることや、逆に相違点なども多く提示された。

この騒動は、手塚プロダクションが「もし手塚治虫がディズニーに影響を与えたというのなら光栄だ」という声明を出したために沈静化した。1994713日のロサンゼルス・タイムズは、企画時のライオン・キングのタイトルが「King of the Jungle」だったと報道した。ライオンの生息地はサバンナであり、ジャングルに生きるライオンという設定は特殊なもので、『ジャングル大帝』では冒頭部で「たったひとつの例外」[6]と書かれている。しかしこれによって騒動が再燃することは無く、当事者同士が主張を戦わせなかったために騒動は収束した。

 この様に手塚治虫氏は、日本を代表する作家です。
   ジャングル大帝の主人公レオは、プロ野球の埼玉西武ライオンズのマスコットキャラクターです。また、ヤクルトスワローズが、以前アトムズと言っていた時代のマスコットキャラクターも、鉄腕アトムのアトムでした。この様な例は他にはありません。この事でもわかるように、手塚治虫作品が、いかに日本人に愛されているかが分かると思います。

「陽だまりの樹」主題歌