2011年10月24日月曜日

「少年達よ」小沢一郎バージョン映像アルバム

 先日から、石川知裕代議士らの裁判(小沢氏の元秘書達3人の裁判)が判決を迎えました。私などは、証拠不採用の裁判の過程から、当然無罪に成るものと思い込んでいたのですが、何を間違ったのか有罪の判決が出てしまいました。無罪が出れば、小沢氏の復権が早くなる…これで日本の政治が動き出すと喜んでいたのですが、その反動で落胆のほうが大きくなりました。一審とは言え、複雑な空気が漂っています。小沢氏の裁判への影響があるのではと…こうなった以上は、小沢氏には裁判に専念して頂き、是が非でも一審に勝利して頂きたいと思います。

 昔、読んだ本「落日燃ゆ」に書かれている、広田弘毅元総理大臣の句を思い出しました。
 「風車 風が吹くまで 昼寝かな」
この句は、広田弘毅元総理が、外務省時代に欧州で冷や飯を食っていた時に読まれた句です。「時代の風が吹けば、風車はきっと回る。それまでは昼寝をして待っていよう…」と、私は解釈しました。ただ広田元総理は、昼寝をしながら欧州の情報を収集し、分析することを忘れませんでした。その後、時代の風が吹き荒び、外務大臣・総理大臣と上り詰められました。今は小沢氏も、心中腸が煮えくり返っているのは良く分かりますが、昼寝をする時なのかもしれません。
 
 私は複雑な法解釈や政策などはあまり理解できませんので、一審の有罪判決が出た以後は、ツイッタ―等でどのように発言していいのか分からなくなり、次第に発言を控えるようになりました。
  そんな折に、昔のレコードを整理していたら、堀内孝雄さんの「少年達よ」を再発見しました。「少年達よ」は、東宝映画、「小説吉田学校」(1983年)の主題歌です。このレコードを手にして、劇場まで見に行った事が蘇りました。吉田茂を演じる森重久弥さんが、あまりにもリアルで、感心した事を思い出しました。
 
 吉田学校と言えば、名宰相吉田茂元総理大臣のもとに、教えを請う為に集まった若手政治家の集団の事を言うのですが、この中から、池田隼人・佐藤栄作・田中角栄・福田赳夫などの総理大臣を輩出しました。言わば、日本政治の保守本流を作りだした集団です。
 私の頭の中に、ふとインスピレーションが浮かびました。「少年達よ」で小沢一郎バージョンの映像アルバムを作って見ようと…小沢ファミリー(小沢氏を支持する人々)に元気が出る映像アルバムを作って見ようと思いました。
   皆様とは、多少意見が異なるところもあるかもしれませんが、ご鑑賞頂ければ幸いです。


少年達よ(作詞・作曲・歌 堀内孝雄)

夢はいつも 君の

百歩先を 歩く

愛はいつも 君の

影にそっと ひそむ


もう一人の 君を

肩車で かかえ

見失うな 夢を

安く売るな 愛を


優しさまで 道具にする

狩人たち 遠ざけて行こう


化粧した 言葉

心地よい 響き

君を囲み 君を包む時も


私の中の 少年達よ

我が物顔で この風上に立て



時はいつも 君の

旅に風を とおす

迎い風は 夢か

送り風は 愛か


傷をいやし 心からの

嬉し泣きを 追いかけて行こう


真実に 投げた

初恋を 訪ね

風を誘い 君の旅の時を


私の中の 少年達よ

我が物顔で この風上に立て


<後記>

 何分にも、音源が古いレコードなので、針が一か所、飛んだところがあります。飛んだ箇所には、歌詞の活字を赤で印字しています。申し訳ありません。

「悪党小沢一郎に仕えて」読みましたにリンクします。
http://keikurumeiz1238.blogspot.com/2011/08/blog-post_26.html

2011年10月19日水曜日

スズメ蜂が足長蜂を襲う…弱肉強食か貧困デモ…そして米国・欧州・日本…


この夏、風呂場の格子と網戸の間に足長蜂が巣を作りました。だんだん大きくなって立派な巣に成っていました。
今日、庭の草取りをしていたら、目の前を大きなスズメ蜂が飛んでいました。足長蜂の巣を襲っているようでした。最近、スズメ蜂の被害が各地で起きていることを報道で知っていたので、私は思わず逃げたのですが…気になって網戸から足長蜂の巣を見ると姿が見えませんでした。僅か一二匹のスズメ蜂によって、足長蜂の巣は、ボロボロに食い荒らされていました。自然界の弱肉強食を見た感じがします。


 今、世界を席巻している貧困デモも、人間界の弱肉強食の結果起きている現象なのかもしれません。あの米国でさえ、1%の人が富を占有していると言ってデモが起きています。

製造業に敗れ、金融投資業に走った米国が、リーマンショックを引き起こして、世界中に被害を拡大させました。土台、サブプライムローンなど無理に決まっていることを…マネーゲームに懲りない連中は、不動産投資ゲームとして続け、庶民に偽りの夢と希望を与えました。あげくの果てがバブル崩壊で…それを見破る事が出来なかった庶民は奈落の底に落とされました。

庶民が奈落の底に落とされたならば、その不良債権が金融機関の首を絞める事が分らなかったのでしょうか。経済オンリーの金融街で、風が吹けば桶屋が儲かるという古典的な理論が分からないはずがありません。何が何でも儲かれば好いという目先の利益に取りつかれたエコノミックアニマルというか、マネーアニマルに取りつかれていたからだと思います。

欧州では、リーマンショックの傷が癒えないうちに、今度はギリシャ国債の問題で大揺れしています。

欧州は、米国のドルに対抗する為にユーロを作ったのでしょうが、主権の違う国どうしが同じ通貨を使うこと自体に無理があるのではないでしょうか。上位の国は正直に自国の財政を公表するでしょうが、下位の国にそれを望むのは難しいと思います。自国を発展させる為には、何が何でもEUに加盟しなければと、国による粉飾決算が起きても不思議ではないからです。

EUの仕組み自体も不思議です。大統領や議会がある…しかし、それぞれの国に国家元首がおり、イギリスとフランスは国連の常任理事国として発言力を維持しています。元々、従来の道理に合う組織ではないのです。ただ、強者の論理に従って米国のドルに対抗する為の偽りの組織だからです。

リーマンショックで生き延びて、ギリシャ国債危機から逃れるために、投資家達は円や石油等に走っています。

だいたい、1ドル70円台など考えられません。東日本大震災が起きて復興がままならない我国に対して、世界は同情と激励を与えましたが、投資家達は円高という強烈なパンチを与えました。弱り目に祟り目というか、これが人間界の弱肉強食なのかもしれません。我が国がどれだけ持ち堪えられるかは分かりませんが、戦争だけが戦いではないのです。国という組織だけが敵ではないようです。弱者の恫喝という言葉がありますが、現代は弱者が集団を組、変身して強者に成り、国を揺るがしています。新しい強者の論理は、姿が見えない所に恐怖を感じます。だから、貧困デモが世界を席巻するのかもしれません。


2011年10月10日月曜日

久留米市青峰校区運動会(パープルタウン:八神純子)

今、校区の運動会から帰って来ました。久方ぶりの運動会で、少々疲れました。この十年くらい、母の介護にかこつけて殆ど出なかったのですが、母が亡くなって出ない理由が無くなったので仕方有りません。一つ気付いたことがあります。青峰団地が出来て約四十年、高齢化が進んでいるようです。(続く)
校区の運動会に以前のにぎわいがありません。目立つことは、お年寄りが増えたことと、応援の数が減ったことです。以前はもっと大声援があったのですが…それでも子どもたちは元気です。ダンスや空手の演舞や徒競争、みんな元気でした。一つ面白い種目を見つけました。担架リレーです。(続く) 

担架リレーとは、二本の棒に毛布を巻き付けて担架を作り、20kgの石灰の袋を乗せて運ぶ競技です。バトンの代わりに毛布を使い、それぞれの組が担架を作ってまた石灰を運びます。地震や災害の時に役立つので皆さん担架の作り方を覚えて下さいとの事でした。日本って凄い国だなとおもいました。 続く
 
 とにかく運動会は終わりました。活躍もしなかったのに疲れました。ただ写真をたくさん撮りましたので、そのうちブログか何かで紹介します。追伸:久留米という街はこんな街です。私が子供の頃から殆どの校区で運動会があります。そして締め括りに、陸上競技場を使って久留米オリンピックがあります。

 以上、102日に私がツイッタ―にツイートした原文です。新たに運動会の写真のスライドショーを作りました。バックミュージックに八神純子さんの(パープルタウン)を使っています。ご鑑賞下さい。





青峰団地
  私の住む青峰団地は、元々は「高良内ニュータウン」といっていました。


市の開発公社が、昭和40年代から耳納山脈の西側、明星山(標高362m)の山麓(標高50100m)の41万㎡に、公営住宅・分譲住宅など、2000戸の住宅を開発した団地です。行政による地名変更によって、青峰団地となりました。
町内には、小中学校・スーパー・銀行・郵便局・医療機関など、生活するには一通りの物がそろっていて便利な街です。自然も豊かで、木々には野鳥が多く生息しています。夏には、筑後川の花火大会が見えて綺麗です。近くには、日本に一校しかない、陸上自衛隊幹部候補生学校も有ります。

我家の裏から見た久留米市街地

 
久留米市街地までは、バスで約30分位かかりますが、バスが1時間に35本通っているので不便は感じません。

2011年10月5日水曜日

秋桜(母と娘の絆)

 昨日ツイッタ―で、私のフォロアーさん(江戸のホウズキさん)から突然、次のようなツイートが届きました。

何時もツイートとブログを楽しく拝見致しました。実は、私事ですが母の介護が本格的(全て在宅)になり、日々パソコンを開く余裕が無くなりました。2か月余りのツイッターでしたが、お世話になりました。何時の日かまた余裕が出来ましたらブログのほう、お邪魔する(続く)

 ()かもしれません。keiさんには初めから(フォロアーさん等)色々ご迷惑お掛け致しました。いつも一本、筋の通ったパンチとハートのあるkeiさんのツイート…素敵でした!是非、見習いたいと思っています。とても勉強になりました。ブログの設定も緩めて(続く)

 ()緩めて頂いたままでしたら、どうぞ戻しておいて下さい<m(__)m>有難うございました!!


 そして、私以外のフォロアーさんにも次のようにツイートされていました。

フォロワーの皆様へ。フォローして頂き有難うございました。このたび、一身上の都合で時間が取れず、ツイッターを続けるのが困難になりました。短い間でしたがお世話になりました。感謝します。

 私は、ついにこの時が来たのか、江戸のホウズキさんは気真面目だから、けじめをつける為に挨拶されたのだなと思いました。そして、これがご自身への決意表明ではと思いました。
 私は次のようにツイッタ―で返信しました。

 ①この数日、ツイートされていなかったので心配していました。こういう事だったのですね。お母様の介護を頑張って下さい。ストレスをためるなと言っても溜まると思います。上手に発散して下さい。そして、一人で考え込まずに誰かに相談して下さい。(続く)

 ②三人寄れば文殊の知恵と言います。好い考えが湧いてくるかもしれません。私は、江戸のホウズキさんに何もしてあげる事が出来ませんが、遠い久留米の地より、お母様の介護が上手く行くことと、あなたの幸せをお祈りしています。暇になったらまた声を掛けて下さいね…

 私も母の介護を10年近く遣ったので、少しは介護の事が分かるつもりです。これから江戸のホウズキさんにはいばらの道が待っていると思います。
 介護は子育てと違い、年数が過ぎれば過ぎるほど症状が悪化して、見たくもない親の姿を見なければなりません。頭の中に出来あがっている親の存在感が木っ端微塵に砕け散ります。でも、それだけではありません。いつの間にか子供帰りした親の顔が、愛らしく、可愛く感じる時も有ります。それが親子の絆かもしれません。


 昨日、パソコン教室の帰り道、買い物の途中の道端に綺麗なコスモスの花が咲いていました。私は思わず車を止めて、写真を撮りました。まさか、江戸のホウズキさんから、この様なツイートがあるとも知らずに…
 秋桜(コスモス)と言えば、山口百恵さんの事を思い出しました。古いレコードを取り出して、映像アルバムを作ろうと思いました。昨夜一晩でつくりました。母と娘の絆を感じ取って頂ければ幸いです。そして、江戸のホウズキさんに見て頂ける日が来れば幸いです。





 母と娘の絆。母の愛は、無償の愛とも言います。今度は、娘が母を支える番です。でも、決して無理をしないでください。肩の力を抜いて下さい。100%を求めないで下さい。そして周囲の誰かに相談して下さい。一人で考え込むことは決して好い事ではありません。
先は、まだまだ長いと思います。母は娘を信頼しています。娘が倒れれば、頼る者はいません。娘が元気で介護することが、母の幸せに繋がります。

by kei