2011年3月28日月曜日

TBSの「冬のサクラ(3/20最終回)春は必ず来る」見ました

 祐は肇に自分の想いを打ち明けていました。
 「分かっていたのに、最後の瞬間が来る事に耐えられないんだよ…」
 肇には、兄の想いが分かっていてもどうする事も出来ません。そして、「兄ちゃん、疲れているからもう寝なよ。」と言います。

 院長宅では、院長と母親が口論をしていました。そして院長は「僕は好きで医者に成ったんじゃない…親が作った地位と名誉を守る為に…でも、どうでもいいよ。どうでもいい…」と言います。やはり、院長の生い立ちには、世襲のプレシャーが重くのしかかっていたのです。

 祐は院長のもとへ行き、自分の想いを伝えます。
 「お願いがあるんです。萌奈美さんを手術してあげて下さい。」と祐が言うと、院長は「萌奈美を何でオレが手術しなければいけない…君の為にか…」と言って、手術を断ります。

 祐は肇のアパートに戻っていました。そして、院長から手術を断られたことを伝えます。祐は自分の想いを口にした後、肇に「オマエには分からない…」と言います。肇は祐に「兄ちゃんも、院長と同じ事をしているんだよ…こんな事をしている間に、萌奈美さんの所へ行ってやれよ…」と言います。
 祐が居なくなると、肇は安奈に「兄ちゃんの話、ちゃんと聞いてやればよかった…」と言います。安奈は「お兄さん、分かってらっしゃるわよ。」と答えます。

 祐が病院に行くと、萌奈美は夢を見ていました。そして気がつくと「夢を見ていました…サクラが遠くへ行く…サクラが見たいから頑張ろう…あのサクラが満開に成るのを見るのが私の道しるべです…あのサクラを見に連れて行ってくれてありがとう。大切な思い出に成りました。」と言います。祐は「あのサクラを絶対に見に行きましょう…」と言います。
 そして、萌奈美のナレーションが入ります。「人は何の為に生きるのでしょうか。生きている限り探し続けます。」

 祐は肇に伝えます。「オレ、やっぱりどうかしていた。でも、オレ大丈夫だから…」

 祐は、病院で医師に「春まで生きられない…生きる希望を見つけてあげて下さい…」と言われます。

 萌奈美の病室に、琴音と義母がやって来ます。そして琴音が「ママ……」と話しかけますが、萌奈美は琴音の話している事を理解できません。その様子を見た義母が、萌奈美の事を察して、琴音を萌奈美から遠ざけます。
 萌奈美は義母に「時々、聞こえる言葉の意味が分からなくなる時があります…それが理由で電話をしませんでした…」と言います。義母はそれを理解していました。そして「航一のこと、ごめんなさい…」と、萌奈美に詫びを入れます。こうして、二人は和解しました。

 祐が萌奈美の病室に遣って来ました。琴音と義母は、もう帰っていました。
 「今日は、好い天気ですね。」
 「さっき、義母と琴音が来たんです…会話の内容が分かりませんでした…娘の言葉が分からないなんて…」萌奈美は、自分の想いを祐に話します。
 祐は、そんな萌奈美を気遣って、明るい表情で「僕、調べたら、文字で書いた方が分かるそうです…」と言って、文字盤を萌奈美の前に出します。そして、何時もの表情で「大丈夫です。」と言います。

 義母が琴音に、自宅で寄り添うようにして話していました。
 「琴音ちゃん、ママあんまり具合が良くないの…だから、私たちがママを支えなければ…
 人生て、思いどうりに行かないの…でも、人は苦しい事をバネに変えることが出来るの、あなたの中にも絶対にあるわ…」

 祐は病室の窓から外を見て「ここから見る空は、小さいですね…」と言います。萌奈美は「夕暮れの空って寂しいですね…」と言います。
 祐は萌奈美に、外の世界を見せてやろうと思い、医師に掛けあって外出許可を取ろうとするのですが、「外出先で様態が悪くなったら命にかかわる…」と言われ、外出許可は取れませんでした。
 萌奈美は、琴音に手紙を書こうとするのですが、ペンを握る事が難しくなり書けませんでした。

 院長は自分の病院で、偶然に女(理恵)と会います。
 院長が理恵に「何をしている…」と言うと、理恵は院長に「萌奈美さんに捨てられたんでしょう。撚りを戻さない…」と言います。すると院長は「僕は一人でいい…」と言います。理恵は「いつかは愛してくれると思ったのに…」と言って、用意していたナイフで院長を指して逃げて行きます。
 院長の傷は意外と重く、出血が止まりませんでした。医師たちは懸命に治療をするのですが、手術をするには大きな問題がありました。それは、院長の血液型がOH型という特殊な型だったからです。院長は荒んだ気持ちをあらわにして「僕の血液型はOH型だ…血液が足りない…日本に数十人しかいないんだ…無理と分かっているだろう…」と言います。しかし、医師たちはあきらめませんでした。
 医師の木村の頭に、ふと肇のことがよぎりました。以前、患者の手術をする時に、OH型の血液が無くて、肇の血液を使って手術をした事を思い出したのです。木村は肇に電話をします。

 祐が萌奈美の病室に来て「萌奈美さん、分かりますか…萌奈美さんに見せたいものがあるんです。」と言って、屋上に連れて行きます。
 萌奈美は「病院で、こんな夕日が見られるなんて…」と言って喜びます。そこへ花屋の女性と友人の警察官が、祐が頼んでおいたサクラの花を持ってきます。
 祐が「萌奈美さん、オレ何の役にも立てなくて…」と言うと、萌奈美は「もう充分にしてもらっています。」と言います。
 二人は、病室に帰る途中のロビーで、偶然に院長の事件をテレビで見ます。萌奈美は琴音を心配して動揺します。しかし、萌奈美はもう動けません。萌奈美は「どうして何も出来ないの…」と言います。祐は「オレが東京に行って、様子を見てきます…」と言って、萌奈美を落ち着かせます。

 肇は木村医師から知らせを受けると、直ぐに病院に駆けつけました。すると院長の母に、息子を助けてくれと言われます。その顔に肇は、自分の母を感じます。そして医師として、患者を助ける事を決意します。肇の血液を輸血して、手術が始まります。
 祐は手術室の前の廊下で、琴音に「大丈夫。絶対に助かるから…そう信じるんだ…」と諭します。そして、手術は無事に終わります。
 肇と祐が帰ろうとすると、院長の母親から呼び止められます。「稲葉さん、ありがとうございます。いろいろあったのに…」と言われます。肇は「オレは、院長の事は嫌いです。でも、助かってよかった…院長の事を待っている患者さんたちがいます…」と言います。
 院長の母親は、肇の目を見て「航一の父親は、山形出身なんです。何かご縁があるのかもしれませんね。」と言って頭を下げます。この事は、院長と肇の特殊な血液型から感じ取った、母親の感の様なものからでした。
 肇も、院長の母親の言葉に何かを感じ取ったのか、病院の外に出ると「オレの家族は、兄ちゃんと母ちゃんの三人だけだ…」と言います。そして「オレが素直に輸血出来たのは、兄ちゃんのせいだよ。自分の事より人の事ばかり考えている、兄ちゃんを見て来たからだ…」と言います。祐は「オレは、何の役にもなってない…」と言います。すると肇は「兄ちゃんだって、萌奈美さんの救いになっているよ…」と言います。

 萌奈美の病室に看護師がやって来ます。そして「稲葉さんからファクスが届きました。」と言って、差し出します。院長の手術の成功の知らせでした。それを見た萌奈美は、嬉しそうに「よかった…」と言います。そして看護師に「私、いつまで頑張れますか…」と尋ねます。それは萌奈美が終わりの時を感じ始めていたからです。

 院長の病室では、母親が院長に「あなたを助けてくれた人たちに感謝しなさい…萌奈美さんに求めるだけではなく、許すのも夫婦です…」と言って諭します。

 翌日、祐は萌奈美の病室に行くとサクラの木の写真を見せます。そして「今日から毎日撮って来ます…」と言います。これは、萌奈美に生きる意欲を持たせる為の思いやりからでした。
 一日、一日と日が過ぎて行き、病室の壁に張った写真が増えて行きます。ふきのとうの写真やサクラのつぼみが膨らむ写真が…
 萌奈美の様態が悪くなって行きます。祐には辛い想いが続きます。
 萌奈美は祐に「祐さん疲れてますね…」と言います。そして「私、疲れたみたいです。今日は寝ます。」と言います。祐は「また来ます。」と言って病室を出て行きます。萌奈美は「祐さん、ありがとう」と言います。
 祐は病院から帰る途中に萌奈美の言葉「いつかあのサクラが咲くところを見てみたい。祐さんと一緒に…」を思い出します。そして、何か予感のようなものが…祐は萌奈美のもとへ戻ります。

 萌奈美は病室の窓を開け、夕日を見ていました。そして、自殺の衝動が走りました。しかし、体がいうことを聞かず出来ませんでした。
 萌奈美は、祐の忘れたカメラを見つけて、カメラの中の映像を見ます。そしてその中に、以前自分が撮った映像が含まれている事に気付きます。
 そこへ祐がやって来ます。「萌奈美さん…」萌奈美は祐に「空が見たくなったんです。これ以上頑張れない気がして…」と言います。
 祐は萌奈美に「今日、萌奈美さんに見せたサクラは、東京のサクラです。春はまだ先です。嘘をついてごめんなさい。」と言います。そして祐は、自分の想いを萌奈美に伝えます。
 「希望を持ってほしかった…どうしてもあなたに生きて欲しかった…あなたはオレに言いましたよね。「ささやかな人生でした」と…みんなそうです。だけど、その人がいる事が誰かにつながっている。生きて下さい萌奈美さん。オレの為にも生きて下さい。」と…
 そして、ここで萌奈美のナレーションが入ります。「人は何の為に生きるのでしょうか。最後の答えを出してくれたのは、あなたです。」

 祐は萌奈美に、生きる意欲が出るようにと外出許可を取ろうとしますが、許可は出ませんでした。そして医師から「治療は、もう不可能です…」と言われます。
 祐は家に帰ると肇に電話を掛けて相談します。「萌奈美さんを家に連れて帰ろうと思っている…」と…
 肇は祐に「兄ちゃん、在宅医療って知ってる…医者が往診して痛みを取ってくれるんだ…でも、簡単じゃないよ…兄ちゃんなら、そう言うと思ったよ…」と言います。

 院長が萌奈美の病室に来ると、萌奈美は眠っていました。院長は萌奈美に話しかけるように独り言を言います。
 「萌奈美、君を苦しめてすまなかった。僕を恨んでいるだろうね。僕は一番になれ、病院を継げと言われて育った…君は幸せな家庭を作るのが夢だった…僕はそれが辛かった…虚勢を張って押さえつけた…そして、君を失ってしまった…人生には取り返しのつかない事があると初めて分かった。
 琴音の事は、心配しなくていい…僕が君の分まで愛して行くから…萌奈美、初めて会った時から、僕は君の笑顔が好きだった…さようなら。」言い終わると、院長は静かに病室を出て行こうとします。その時、萌奈美が「航一さん…」と言います。院長が振り向いて「萌奈美…」と言うと、萌奈美は「さようなら」と言います。
 院長が萌奈美の部屋を出て帰っていると祐と会います。
 院長は祐に「萌奈美の事をよろしくたのむ…」と言います。祐が院長に「萌奈美さんをオレの家に連れて行きたいと思います…」と言います。院長は「萌奈美がそう望むならそうしてくれ…」と言います。祐は「琴音ちゃんにも伝えて下さい…」と言います。院長は「僕は君に、萌奈美を奪われた訳ではない。もう、とっくに失っていたんだ…」と言います。

 祐は萌奈美の病室で、萌奈美に退院をして自分の家に来るように伝えました。萌奈美は「祐さんの家にですか…」と言います。祐は「いやなら好いんです…考えてみて下さい…」と言います。

 院長は自宅に帰ると琴音に「ママに会って来た…一度ママと話したくて…会いに行って良かった…」と言います。そして院長は「琴音は無理に医者に成らなくていいよ…好きな道を歩けばいい…」と言って、琴音に買って来た絵の道具を渡します。

 「あなたは優しい人でした。あなたの柔らかな微笑みが、あなたの静かな強さが、私に羽ばたく勇気を与えてくれたのです。」と、萌奈美のナレーションが入ります。

 肇は、院長から電話で呼び出されます。
 院長は肇に「命拾いしたよ、ありがとう…再就職は決まったか…戻ってくる気持ちはないか…優秀な人材を育てるのは僕の責任だ…僕はいろんな物を失ったが、君に救われた命を患者さんの為に精一杯使おうと思う…」と、心の内を明かします。

 萌奈美は退院して、祐の家にいました。
 萌奈美が祐に「もう淋しくないですね…」と言います。そして、壁に貼ってある祐が撮ったサクラの写真を見て「ありがとう。」と言います。
 二人の新しい生活が始まります。
 祐は「萌奈美さん、もうすみませんって言わなくても好いですよ…萌奈美さんの為に出来る事が、僕には幸せなんです…」と言いながら、萌奈美に食事をさせます。萌奈美は「ありがとう…ありがとう…美味しい…」と言います。二人は幸せでした。

 肇のアパートでは、安奈が肇に「病院には戻らないの…」と聞きます。肇は「院長がいやで辞めたんだから…」と答えます。そこへ祐から電話が掛かって来ます。
 祐が「肇、一つ頼みがあるんだけど…」と言います。

 肇と安奈が、琴音を連れて祐の家に遣って来ます。萌奈美に琴音を会わせれば、生きる意欲が湧いてくるのではないかという、祐の思いやりからでした。
 琴音は萌奈美が作ったレシピ帳を見せながら「これ持って来たよ…」と言います。そして、「今日は、私がママに料理を作るからね…」と言って、安奈と二人で料理を作ります。
 琴音は安奈に「今まで感謝した事が無かった…ママが料理を作ってくれると思ってたから…ママが居なくなるって考えた事が無かったから…」と言います。

 萌奈美は琴音が作った料理を食べると「美味しい。美味しいよ琴音ちゃん…」と言います。琴音は萌奈美に「ママ、今までいっぱい美味しい料理を作ってくれてありがとう。今度は私が作るから…きっとあのサクラが咲くよ。一緒に見ようね…」と言います。

 萌奈美は「私、肇さんにお詫びしなければ…私の事で病院を…あの人にも輸血をありがとうございました。」と言います。肇は「役に立てて良かったです。」と言います。
 萌奈美は「ありがとう…私は何も出来なかった。それが心残りです…」と言います。すると肇は「それは違うと思います。あなたは兄に助けてもらったと言いますが、兄もあなたに救われたのです…兄には、この時間が大切なんです…」と言います。
 この日は、みんなで祐の家に泊まりました。
 祐は肇と二人に成ると話しかけます「春になったら…あのサクラの花が咲いたら一緒に見ようと思った…あの人に見せたい…こんなに春を待ちわびた事はなかった…夜寝るのが恐い…寝ているうちに居なくなったらどうしようかと思うと…」
 あくる日、三人が帰る時に、琴音は祐に「また来てもいいですか…」と聞きます。祐は「もちろん…」と答えます。

 祐は「萌奈美さん、ちょっと外に出てみませんか…」と言って、萌奈美を車いすに乗せて外に出します。萌奈美は外の空気に触れて「気持ちいい…こんな穏やかな気持ちで、もう一度空を見られるなんて思わなかった…祐さんのおかげです。ありがとう。」と言います。
 部屋に帰って来ると萌奈美は「祐さん、ちょっとソファーに座ってもいいですか…」と聞きます。祐が萌奈美をソファーに座らせると萌奈美は「懐かしい…あの時もこんな風に座りましたよね…」と聞きます。祐が「はい。」と答えます。萌奈美が「また、この家に連れて来てくれてありがとう…」と言うと、祐は「いいえ」と言います。
 萌奈美は「祐さんとの思い出は、決して多くはないけど、あなたといた私はいつも自由でした…あなたが大丈夫と言ってくれたから自由に生きる事が出来ました…祐さんに出会えて本当に幸せでした…」と言います。祐は「オレも…オレもです。」と答えます。
 萌奈美は「祐さんは、私の分まで生きて下さいね…祐さんが私に言ってくれたように、あなた自身の人生を幸せに生きて下さい…それが私の願いです…」と言うと、萌奈美はにっこり笑って、幸せそうに祐にもたれかかります。そして萌奈美の意識は薄れて行きます。

 医者が往診に来ていました。診察が終わると医者は祐に「もう意識が戻らないかもしれない。覚悟をしておいた方がいいかもしれない…」と言います。
 祐は萌奈美の手を握りながら祈ります。そして祐が「萌奈美さん…」と呼び掛けると、萌奈美はうわ言の様な声でかすかに「サクラ…」と言います。
 祐は「あのサクラを見に連れて行く…約束したんだよ…だからどうしてもあのサクラを見に連れて行く…待ってて…」と言います。
 肇が祐に「兄ちゃんは良くやったよ…萌奈美さんも分かってくれるよ…後は穏やかな最期を看取ってやろう…」と言います。
 萌奈美の最期の時が来ました。
 萌奈美はベットの上のサクラを見て「サクラ…サクラ…咲きましたよ…約束しましたよね、一緒に見るって…待ちわびた春が来たんですよね…祐さんありがとう…」と言います。萌奈美の目から涙が流れていました。
 祐は「萌奈美さん…萌奈美さん…あなたの笑顔をもっと見たかった…あなたの声をもっと聞きたかった…オレは…オレはあなたを愛しています…愛しています…愛しています…」と言います。これが祐の初めての告白でした。
 こうして萌奈美は、息を引き取ります。安らかな死でした。

 葬式の時、祐は会場の後ろの壁にもたれかかって放心状態でした。葬式が終わると祐のもとに琴音たちがやって来て「いろいろとお世話になりました。母にサクラの花を見せてくれたんですね…最期まで母をありがとうございました…」と言います。琴音はすっかりおとなになっていました。
 院長が「萌奈美の顔が微笑んでいた…幸せな最期だと思う…ありがとう…」と言って、祐に深々と頭を下げました。
 花屋の女性が「萌奈美さん、祐ちゃんに感謝していると思うよ…」と言います。
 肇が「兄ちゃん、泊まって行きなよ…」と言います。安奈も「一人では寂しいですよ…」と言います。しかし祐は「今日は、一人でいたいんだ…」と言って帰ります。
 肇は安奈と二人に成ると「オレ、石川病院に戻るよ…院長が、兄ちゃんに頭を下げるところを見てそう思った……ついでに結婚しよう…兄ちゃんと萌奈美さんを見て分かったんだ…大切な人とは、ずっと一緒にいる事が好いって…」と安奈に打ち明けます。

 院長は、刑務所に入っている理恵に面会します。
 院長が理恵に「萌奈美が亡くなったよ…最期はあの男のもとで死んでいった…」と言います。
 理恵が院長に「最期まで羨ましい人…私が持って無かった物を何もかも持ってた…」と言います。
 院長が理恵に「でも、君は生きている…明日は絶望とは限らない…萌奈美が人生の最期に希望を見つけたように…」と言います。

 祐の友人の警察官が、祐に電話をしますがなかなかつながりません。警察官は肇に電話を掛けます。警察官が肇に「祐に電話をしてもつながらない…アイツがいないんだ…アイツ変な事考えてないだろうな…」と言います。肇が警察官に「平気な訳が無いんだよな…辛い時は何でもない顔をするから…」と言います。
 肇は警察官に捜索の依頼をして、直ぐに山形に向かいます。その時祐は、あのサクラの木を見ていました。

 祐が家に帰ると、肇が心配そうに待っていました。
 肇が祐に「どこに行っていたんだ…」と聞くと、祐は「サクラの木を見に行ってた…毎日行っていろいろ考えている…これからどうやって行こうかといろいろ考えている…」と言います。そして、「そんな事が掛け替えのない事なんだ…オレ、萌奈美さんに会えて、今までの自分から一歩踏み出せた…オレが愛した人の為にも前を向いて生きて行きたい…」と言います。
 祐が思い出のアルバムを見ていると、アルバムの中からメモ用紙が出てきます。そこには、「祐さん、私はあなたを愛しています。」と書いてありました。萌奈美からの最初で最後のラブレターでした。
 祐には「私の分まで生きて下さい…祐さんが私に言ってくれたように、あなた自身の人生を幸せに生きて下さい…それが私の願いです…」という、萌奈美の声が聞こえているようでした。そして祐は「大丈夫…オレ大丈夫だから…大丈夫、明日は味方だから…春は必ず来るから…」と言います。
 こうして「冬のサクラ」は終わりました。

 祐、良かったですね。最期に萌奈美さんからラブレターをもらって…それだけが救いだったような気がします。萌奈美さんも幸せな最期が迎えられて良かったですね。自分が生きる事が、祐の幸せにつながる事を知って、精一杯生きたからかもしれません。
 終わってみれば、出て来た人はみんなそれなりに好い人でした。最初は、院長の様子を見ていると、マザコンで嫉妬心が強くて、病的なストーカーの様なものが感じられましたし、院長の母と萌奈美の関係は、典型的な嫁姑問題の陰湿さがうかがえました。でも、心の奥底には、人間としての善良さがあったのです。人は時として、与えられた時間や条件で、変わっていくのかもしれません。これは、誰にもあり得る事だと思います。
 私がこの物語で一番好きだったのは、祐と肇の兄弟愛というか、物の考え方です。現代では有り得ないような事もあったように思いますが、山形という地方都市で、兄弟二人だけで育った絆が、そう思わせるのかもしれません。ただ、清貧の美学というか、日本人のDNAに刻まれた物が、現代に蘇っているような気がします。それが、日本人の琴線に触れるのかもしれません。
 それから、東日本大震災のせいで、放送日が1週お休みになったせいで、2話分を1話にしたせいか、カット回し(場面の展開)が多くて、内容を理解しにくい場面もあったように思います。

 最後に、この物語でもう一つ続編が作れるような気がします。私の勝手な考えですが、5~10年後の物語です。
 祐は、ガラス職人ではなく、ガラス作家として芸術性の高い作品を作る為に、東京で工房を開きます。しかし、いまだ独身です。
 肇は、院長のもとで鍛えられ、若手のホープとして活躍しています。家庭では、安奈と二人の子供に囲まれて幸せに過ごしています。
 琴音は絵の勉強をしようと思っていたのですが、母の死によって医学に目覚め、医学生あるいは研修医となっていました。
 ある時、院長が交通事故でけがをしますが、肇がたまたま地方での学会に出席している為に、輸血が出来なくて亡くなります。
 院長の母は、肇の人柄を信じて秘密を打ち明けます。院長の母は、院長と肇の血液鑑定をして、二人が異母兄弟である事を知っていたのです。そして院長の母は、肇に琴音の力になって欲しいと頼みます。まだ肇は若いので、直ぐに院長という訳にはいかないけれど、理事として、病院の経営に参加して欲しいと頼みます。
 琴音は祐の工房に顔を出し、世間話や悩みの相談などをします。二人には不思議な友人関係が出来ていました。
 こんな設定から物語が始められないでしょうか。
 それでは、またいつの日にか……

 後記

 最終回の掲載が遅れて申し訳ありませんでした。体調を少し崩して、なかなか書けませんでした。すみませんでした。
 
 
 

2011年3月20日日曜日

この国難の時に、政治家はメンツを捨てて事に当たるべきでは…

 昨日、管総理は谷垣自民党総裁に、副総理兼震災復興担当相として、入閣を要請したそうですが、谷垣自民党総裁から断られたそうです。政権の立て直しに利用されては困るというような理由からだそうですが、この国難の時に、何と度量の狭い考え方なのでしょうか。

 総理が恥も外聞もかき捨てて、政敵である谷垣自民党総裁に頭を下げてお願いしているのだから、当然副総理兼震災復興担当相を受けるべきではなかったのでしょうか。挙国一致内閣を作るべきではなかったのでしょうか。それを党利党略に矮小化し、高みの見物をしようとしています。この事態においてそんなゆとりはないと思います。政治家はメンツを捨てて、事に当たる時ではないでしょうか。

 今から四十年ほど前の事です。当時の田中角栄総理は、日本列島改造論などによる狂乱物価を抑える為に、政敵である福田赳夫氏に経済を委ねました。あの角福戦争と言われたお二人でさえ、確りと手を握られたのです。当時の政治家の見識の高さがうかがえます。ましてこの未曽有の国難の時に、力を合わせて国の為に働かない政治家は政治家ではありません。国民は確りと見ています。今は、メンツにこだわらず、国の為に働く時です。

 仮に挙国一致内閣が出来ないとするならば、せめて民主党の挙党一致内閣を作って下さい。管総理は、小沢元代表に対して頭を下げ、副総理兼震災復興担当相を依頼すべきです。今の民主党には、小沢元代表以外に官僚をまとめ上げて、震災の復興を成しえる人はいないと思います。
 政治家は、メンツを捨てて、この国難に当たって下さい。 

2011年3月17日木曜日

東日本大震災による原発事故について思う事

 我々日本国民は、広島・長崎への原爆投下(1945年)以来、世界中で一番放射能の恐さを知っています。よって、放射能アレルギーと言われるほどの原子力行政を実施してきました。あらゆる事故に備えて準備してきたつもりです。しかし、今度の震災による原子力発電所の事故は、その人知を超えるもので、対応に苦しんでいます。現場では今、どうやって放射能を抑え込むか、命がけの事故処理が行われています。

 報道は、放射能漏れや救助隊員の被ばくを大々的に伝えています。ただ基準の何倍・何十倍・何百倍…と数字だけが独り歩きをして、センセーショナルに報道している様に思います。テレビの解説者の話をよく聞いてみると、「これは、レントゲンやCTによる放射線の量に匹敵します。したがって人体には影響ありません。」とのことです。要するに、原子炉付近の放射能数値には問題があるが、市街地での放射能数値には問題が無いという事です。放射能アレルギーがこの様な報道へと繋がるのでしょうが、ここはひとつ、考え方を変えてみてはどうでしょうか。つまり、放射能アレルギーを放射能に免疫があると考えられないでしょうか。放射能アレルギーによって作られた、世界一厳しい基準は、世界一強固な原子炉を作り出し、マグニチュード9.0という巨大地震にも耐えています。そして、半径20㎞までの住民を迅速に避難させ、半径20㎞~30㎞までの住民を屋内退避させています。つまり、免疫機能は働いているのです。この免疫機能が働いているうちに放射能漏れが終息する事を心から祈っています。また、現場の事故処理に命がけで当たっている、東京電力社員・自衛隊員・米国兵士に心から感謝しています。どうかご無事でありますように…

 いろいろと政府の対応を批判する人もいますが、私はよく頑張っていると思います。外野席で勝手な事を言うのは簡単な事ですが、人心を惑わすような言動は謹んで欲しいと思います。以前の政権だったら、ここまで情報を開示していたでしょうか。ここまでスムーズに救援体制が執れたでしょうか、疑問に思います。(直近の神戸・淡路大震災の時は、自衛隊の投入が遅れ大問題になった事を記憶しています。)ただこれは、経験の積み重ねによる備えがあったからだと思います。今後も、政府からの情報がスムーズに開示され、政府からの指示が適確に伝わる事を望みます。そして、被害がこれ以上拡大しないように望みます。
 神様、どうか日本国民をお守りください。これ以上の被害拡大が起きませんようにお導きください。お願いします。

 注記

 原子炉自体は、マグニチュード9.0の巨大地震に耐えています。ただ電源が津波などによって使えなくなり、燃料棒の冷却が出来なくなっているだけです。決して臨界事故が起きている訳ではありません。現時点では、チェルノブイリやスリーマイル島の様な大事故ではありません。ただ、燃料棒の冷却が出来なければ、そうなる可能性も残っています。どうか、燃料棒の冷却に成功する事を祈って下さい。

 追記

 3月17日午前中に、自衛隊の大型ヘリコプターで水(7.5トン×4回)を投下しました。その結果、放射線の数値がわずかに下がったそうです。19時には、警察の車両で陸から放水しましたが、建物内部には届かなかったそうです。直後に、自衛隊も特殊消防車両5台で、陸から放水(30t)しました。こちらは建物内部に水が入ったそうです。
 3月18日午前0時のNHKのニュースで、東京電力の会見が中継されました。それによると、「自衛隊の陸からの放水時に、水蒸気の量が増えたので、一定の効果はあったと思われます。」とのことでした。その後のニュースで、自衛隊の陸からの放水後、放射能の数値もわずかに減ったそうです。また、東京電力は、原子炉への外部からの電源を復旧させる為の工事を明け方まで続けるそうです。
 自衛隊員・警察官は、防護服を着ての活動だったそうです。被ばく量も既定の範囲内で、今のところ人体には影響が無いとの事でした。命がけの活動に感謝します。

 テレビ朝日の報道によりますと、18日午後1時55分、自衛隊による陸からの放水作業が始まりました。自衛隊は特殊消防車両7台を使い約50トンの水を使用済み核燃料の冷却の為に放水しました。在日米軍から提供を受けた特殊保水車1台も参加しました。水は使用済み核燃料に届いている模様です。


福島原発、国内最悪の深刻度5にスリーマイルと同水準(3/19 00:51)

 東日本大震災による東京電力福島第1原発の事故で、経済産業省原子力安全・保安院は18日、1~3号機の事故の深刻さを示す国際評価尺度(INES)を、8段階のうち3番目に深刻な「レベル5」にすると発表した。
 1999年の東海村臨界事故を超える国内最悪の評価で、原子炉圧力容器の底に燃料が溶け落ちた米スリーマイルアイランド事故(79年)と同レベル。世界最大級の原子力事故となった。
 保安院によると、炉心の冷却機能が失われた1~3号機で3%以上の燃料が損傷したことや、発電所外へ放射性物質の放出が続いていることから、レベル5と認定した。これまで1号機の事故を、東海村事故と同じ「レベル4」と評価していた。
(静岡新聞|NEWS より)


 東京消防庁の緊急消防援助隊の放水は、19日午前0時30分~50分まで行われた。放水量は推定60トンに上った。
 東京消防庁によると機材は現場に残し、隊員らは放射線の影響が少ない安全地帯に退避した。19日正午から2回目の放水をする予定。


追記

福島原発事故 レベル7
チェルノブイリ級「最悪」

 経済産業省原子力安全・保安院は12日、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、原発事故の深刻度を示す「国際原子力事象評価尺度(INES)」の暫定評価を、「レベル5」から最悪の「7」に引き上げると発表した。これまでに放出された放射性物質の量を、推定される原子炉の状態から計算した結果、「7」の基準である「数万テラ・ベクレル以上(テラは1兆倍)」に達した。

保安院 評価引き上げ

 「7」は0~7の8段階で上限の「深刻な事故」で、過去では1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故が唯一の例だ。
 保安院の発表によると、3月11日から4月12日午前11時までに大気中に放出された放射性のヨウ素131とセシウム137の総量を、原子炉の状態から推計したところ、ヨウ素の量に換算して37万テラ・ベクレルに達した。内閣府原子力安全委員会も12日、周辺で測定された放射線量をもとに推計したヨウ素とセシウムの大気への放出総量は、3月11日から4月5日までで63万テラ・ベクレル(ヨウ素換算)になると発表した。保安院の西山英彦審議官は「現時点までの放射性物質の放出量は、チェルノブイリ原発事故に比べて1割前後で、被曝量も少ない」と違いを強調した。
 安全委員会によると、現在の放出量は、ピーク時の約1万分の1に落ちている。
 保安院は3月18日、福島第一原発事故の暫定評価を、推定される炉心の損傷などをもとに、米スリーマイル島原発事故(79年)と同じ「レベル5」に位置付けていた。4月12日までにまとまった放射性物質の放出量に加え、広い範囲で人々の生活に影響を与えていることも考慮し、保安院はレベル7への引き上げを決めた。
 福島第一原発では東日本大震災で1~4号機が冷却機能を喪失した。東電は原子炉格納容器の圧力を下げるため、3月12日に放射性物質を含む蒸気を大気中に放出する「ベント」を1号機で実施。1,3号機の原子炉建屋では水素爆発が起き、多量の放射性物質の飛散はほとんどが3月16日までに起きており、その後は減少している。

放射性物質の影響 注視を
レベル7

 原発事故の深刻度を示すINESの評価は各国の原子力監督官庁が行い、国際原子力機関(IAEA)に報告する。日本では原子力安全・保安院が担当する。レベル5以上の大きな事故では、大気に放出された放射性物質の量が重要な判断基準となる。
 保安院は先月18日、レベル5との暫定評価を発表したが、周辺の放射線量の高さや、世界に広がった放射性物質の拡散量などから、国内の専門家からは「6以上ではないか」との指摘が相次いでいた。
 チェルノブイリ事故では、10日間で約520万テラ・ベクレルもの放射性物質が大気に放出された。事故後に福島第一原発から放出された放射性物質の量はチェルノブイリの1割程度だが、世界の原子力事故の中では極端に大きい。レベル5の米スリーマイル島原発事故では、周辺に降下した放射性物質の多くを占めたヨウ素131の量が0.6テラ・ベクレルだった。
 しかも、福島原発では、海にも多量の放射性物質が流出している。作業が難航しており、数か月、1年と長期化すれば、放出量はさらに増える。
 忘れてはならないのは、INESのレベルは単なる数字ではなく、健康と環境への影響の程度を意味していることだ。がんや白血病の発生率、土壌汚染など、注意深く見守っていく必要がある。国際的なイメージにも大きな影響を与えるだろう。
(科学部 笹沢教一)

注 チェルノブイリ原発事故

 原子炉の構造的欠陥に作業員の人為ミスが重なったのが原因とされる。4号機が試験運転中に炉心の融解を起こして爆発し、原子炉建屋が吹き飛んだ。原子炉は事故発生後、10日間にわたって燃え続け、ヨウ素131など大量の放射性物質が大気中に放出されたとされる。汚染範囲は、日本の面積の約半分に当たる20万平方キロに及んだ。世界保健機関(WHO)などは、事故による被曝が原因のがんで死亡する人の数が将来的に9000人にのぼるとの試算を公表している。

以上 読売新聞 2011年4月12日 夕刊

IAEA「チェルノブイリと違う」

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、経済産業省原子力安全・保安院が12日、「国際原子力事象評価尺度(INES)」の暫定評価を最悪の「レベル7」に引き上げたことについて、海外の原子力専門機関からは、同じ「7」だった1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故とは深刻度や被害規模が大きく異なるとの指摘が相次いだ。

レベル7引き上げ

 国際原子力機関(IAEA)のデニ・フロリ事務次長は12日の記者会見で、福島の事故とチェルノブイリ事故は規模などが「全く違う」と強調し、同列には扱えないとの考えを示した。事故発生時、チェルノブイリ原発は稼働中だったが、福島第一原発は停止後で圧力容器の爆発も起きておらず、放射性物質の放出量が大きく異なると指摘した。
 フロリ次長は一方で、日本側のデータに基づくと、レベル7に引き上げた判断は妥当との見方を示した。
 パリ郊外にある仏放射線防護原子力安全研究所(IRSN)のパトリック・グルムロン人体防護局長も12日の記者会見で、「福島の状況は非常に深刻だが、被害の大きさはチェルノブイリ原発事故と比べてはるかに抑えられている」と評価した。
 一方、米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長は12日、「レベル7」引き上げについて「事態は厳しいので驚くには当たらない」と述べ、妥当との見方を示した。米上院の公聴会後、記者団に語った。
 (ウィーン 末続哲也、パリ 三井美奈、ワシントン 山田哲朗)

読売新聞 2011年4月13日 夕刊

追記(2011年5月14日)

 ソ連がロシアに変わった時、原潜解体で放射能汚染の問題がウラジオストックで起きました。ロシアは、軍事色が強く秘密裏に低レベルの放射能汚染物質を日本海に投棄しました。我が国は、そのことが分かると、狭くて閉ざされた日本海に、放射能汚染物質を投棄するなんて何を考えているのかと抗議しました。そして、我国の支援で、放射能汚染物質の処理施設を建設しました。

 これらの事を踏まえたうえで、今度の東日本大震災による福島第一原発の事故処理を考えた時、放射能汚染水を太平洋に垂れ流してしまった事は、言語道断だと思います。我が国は、何時からこんな国に成り下がってしまったのかと思います。他に方法はなかったのか…例えば大型のタンカーを持ってくるとか、メガフロートを持ってくるとか…あるいは、薬品で処理をすることは出来なかったのか…技術的な事は、問題が一段落した後で、専門家によって検証されることと思いますが、結局この様な失態を起こしてしまったことは、油断と言うべきか、過信と言うべきか分かりませんが、セキュリティー問題を安全神話にしてしまった事にあると思います。

 その原因は何か、それは責任の所在が曖昧になっていることです。電力会社を指導監督する立場の経済産業省から各電力会社にこれまで68人もの天下りがいたそうです。現在でも13人が副社長などの役職に就いている事が分かっています。これでは経済産業省は、電力会社のいいなりと言われても仕方がありません。
 また、原子力安全委員会と原子力保安院との違いを国民は知らされていませんでした。取り締まるのと推進するのがごちゃごちゃで、委員の先生方は名誉職的存在で、責任の所在がどこにあるのかが分かりません。

 また、屈辱的な事に、我国のロボット産業は他を寄せ付けないほどに発展していますが、原子力建屋の中で活動するロボットをなぜ他の国から借りなければいけないのか。つまり、事故ということを全く考えていなかったということです。これは電力会社と国の怠慢としか言いようがありません。

 また、東京電力の福島第一原発では津波の被害を受けたのに対して、東北電力の女川原発は、なぜ津波の被害を受けなかったのか。それは女川原発がそれなりに津波の対策をしていたからです。建てられた時期で基準が違うのならば、先に立てた福島第一原発の基準を女川原発に合わせて何故改修しなかったのか。つまりは危険と分かっていたのにそのまま放置していたことになります。その場主義の行政としか言いようがありません。東京電力は営利主義に走ったとしか言いようがありません。

 とにかく、責任の所在をはっきりさせて、事故処理にあたっては政府が一元的に管理すべきだと思います。
by kei





 

2011年3月10日木曜日

三月十日、今日は父の命日です。

 三月十日、今日は父の命日です。父は、陸上競技と野球が好きで、仕事が良く出来る人でした。特に野球は、城島捕手バリに座ったままで一塁や二塁に送球していたそうです。背番号は「12」で、西鉄ライオンズの和田捕手と同じ物を付けていました。若いころには、軟式ですが実業団のチームからスカウトされようとしたそうです。しかし、その時すでに勤務先で係長になっていたので、丁寧にお断りしたと聞いています。

 子供のころは、兄たちと一緒に父の試合をよく見に行っていました。でも、その頃の父は四十前後で、仕事の量も増えたりして、力が衰えていたのか、あまり活躍をしているところを見たことがありませんでした。でも、若い人と交じって、一生懸命にプレーしていました。

 父の影響を受けたのか、私は中学に入るとソフトボールと陸上競技を始めました。ソフトボールは、小さい頃から父とキャッチボールをしていたので、一年からレギュラーでした。父は、仕事の都合がつく時は、よく試合を見に来ていました。ある時、上級生のエラーで、点数をボロボロと入れられた時、私はホームベース上で地面に捕手用のマスクを叩きつけました。それを見ていた父は、チェンジの時、私を呼び付けて「あげなことばしたらいかん、自分一人でソフトボールは出来んよ。チームワークを大切にせにゃいかん。」と叱られました。それを見ておられた顧問の先生が私を呼ばれ、「お父さんから怒られたろ、みんな失敗はするとやから、チームワークが大切かとよ…」と言われました。顧問の先生と父は旧制中学の同級生だったので、父の事はよく理解されていました。

 また、陸上競技の試合は日曜日に開催される事が多かったので、はまって観戦に来ていました。スナップ写真をよく撮ってもらいました。そのスナップ写真を見てフォームの研究をしました。
 これだけなら、本当に好いお父さんなのですが…。父はお酒が大好きで、酒癖が良くありませんでした。「お酒を飲むのも仕事のうち…」などと言っていました。母は本当に苦労したと思います。でも、晩年には「お父ちゃんのおかげ…」という言葉をよく口にしていました。人間完璧な人はいませんから、これくらいにしておきます。

 父は五十二歳で亡くなりました。入院する前日に、私と父は久しぶりにキャッチボールをしていました。キャッチボールが終わって、父が「何かおかしか。あした病院に行ってみよう…」と言いました。その日の夜、コーヒーのサイフォンの内蓋を洗って水を切っていたら、割れるはずのない内蓋が私の手の中で真っ二つに割れました。私はいやな予感がしました。そして、その予感は的中しました。
 翌日、父が病院に行ってレントゲンを撮ると、胸に影があったそうです。即入院でした。結局、八ヶ月後に肺がんで亡くなりました。あれから三十三年です。昨年は母も亡くなり、天国で二人仲良く過ごしていると思います。たまには下界の事を思い出して、みんなの事を見守って下さい。

合掌

2011年3月8日火曜日

TBS「冬のサクラ(3/6)命が尽きる、その時まで」見ました

 萌奈美は、祐と琴音と一緒に病院に来ていました。琴音は祐に尋ねます。「私はママに、何をしてあげられるのかな…」琴音の心は、萌奈美の元へ帰りました。
 院長は、病院から山形へ向かおうとしていました。そこへ女(理恵)が来ます。そして、「山形へ行くの…あなたの事は、私が一番分かっているは…もう、萌奈美さんの事なんか好いじゃない…」と言います。すると院長は「お前に何が分かるんだ…」と言って、病院内で女を殴ります。それを見ていた病院の従業員たちは、唖然とします。そして、病院中に噂が流れます。
 安奈は家に帰ってくると、その事を肇に話します。肇は「あの院長、そのうちとんでもない事をしでかしそうだ…」と言います。

 萌奈美は今後の事を考えていました。
 琴音が萌奈美に「この病院に入院したら、またサクラを見に来るのが大変でしょう。私は、もう子供じゃないから、毎週会いに来るから…」と言います。祐も「良かったら、そうしませんか…」と言います。
 そこへ院長がやって来ます。そして、土下座をして「嘘をついた事は僕が悪かった…東京に帰って来てくれ…三人で一緒に暮らそう…」と言います。
 すると琴音が「ママはここに入院するんだって…ママにとって特別のサクラの木があるんだって…好いでしょうパパ…」と言います。萌奈美は院長に「もう、家には帰りません。」と言います。院長は「それなら仕方がないな…琴音、今日は帰ろう…」と言います。琴音は「ママ、また来るから…」と言って、二人で帰ります。
 萌奈美が祐に言います。「あの子が、あんな事を言うなんて…」(私は、ママに何をしてあげられるか心配…)

 萌奈美は医者から、病気の説明を受けます。医者は「今から病気が進むと、手足のしびれやいろいろな症状が出てきます。やりたい事があったら今のうちに…」と言います。
 萌奈美は聞きます。「残された時間は…」すると医者は「それは何とも…今のうちに遣りたい事を…」と言います。
 萌奈美は想います。「命のともしびが、少しづつ消えている事を私には感じられた。」

 院長が家に帰ると、母親と言い合いになります。
 母親が「あなた、病院で理恵さんを殴ったそうね。あなたたち、そんな関係だったの…これ以上、私を失望させないで…お父様の顔に泥を塗らないで…」と言います。
 院長は「お母さんまで、僕を否定するんですか…僕はお母さんの言うとうりに生きて来た。勉強して、医者になって、病院の後を継いだ…」と言います。院長のその様子は、ますます異常が感じられます。

 萌奈美の病院では、病室で医師が萌奈美に話しかけます。「娘さん、確りしていますね。」すると萌奈美が、どうしたら好いか分からない表情で「先生、私ちょっと変なんですけど…私、先生が言われた事が分かりません…」萌奈美に失語症の症状が現れ始めました。

 肇が祐の荷物を持って、東京から山形へやって来ます。そして、肇は祐に言います。「兄ちゃん、一つだけ言っとく事がある。失語症ってあるだろ…もし兄ちゃんが、萌奈美さんに言っときたい事があるなら、早く言った方が好いよ。もうすぐ萌奈美さんは、兄ちゃんの言う事が分からなくなるから…」
 祐は「本当にそうかな…言葉で伝えた方が好いのかな…」と言います。すると肇が「それはそうさ…僕は生きているうちに、母ちゃんに会いに来なかった。一言、ありがとうと言っておきたかった…兄ちゃんには、そうはなって欲しくないんだ…」と言います。

 祐は医者に会って、萌奈美の病状を聞きます。
 医者は祐に「石川さんは、失語症が出て来始めました。そのうち、会話が難しくなります。今はやりたい事をやらせてあげて下さい。」と言います。そして祐は、萌奈美の外出許可を取ります。
 祐は萌奈美の病室に行って「明日、外に出ませんか。外出許可をもらっておきました。」と言います。萌奈美は、嬉しそうに「明日、晴れると好いな…」と言います。

 その夜、祐は友人の警官から電話をもらいます。
 「お前の父ちゃんと言う人が来ている…お母さんに、線香を上げさせてくれと言って…」そう言って、祐の友人の警察官は、祐の父親と電話を変わります。
 祐は「今更何をしに来た。もっと早く来られただろう…僕は会わない…帰ってくれ…」と、日頃温厚な祐が、怒りをあらわにして電話を切ります。しかし祐は、母の介護をしている時の母の様子を思い出します。祐の顔を見て「雄一さんでしょう。」と言った言葉を…
 祐は急いで交番に行きます。そして、父親に「名前を聞かせて下さい。」と言います。父親は「片岡です。」と言います。祐が「名前は…」と聞くと「片岡雄一です。」と答えます。
 すると祐は、父親に「オレはあなたと話す事はありませんけど、母はあると思うので…線香をあげて下さい。」と言います。
 父親は仏壇に線香をあげると、祐と話します。
 父親は「百合さんと出会ったのは、山形の工事現場に単身赴任で来ていた時でした…僕にとっては大切な人でした…時が過ぎ、僕は東京へ戻りました…それからだいぶ過ぎてから、君を産んだと聞かされました…弟さんの父親じゃないけど…君には苦労を掛けてすまなかった…風の便りで、百合さんが亡くなった事を知りました。せめてお線香だけでもと想いやって来ました。百合さんは、大切な人だった。心の底から愛しているから口に出せないと言うか…残念だけど言えなかった…」と言いました。
 祐は「母は、あなたの名前だけは、ずっと覚えていました。」と言います。父親は「そう…ありがとう…」と言います。

 院長は身支度をして、琴音の寝顔を見ます。そして出かけようとすると、母と会います。母は院長に「もう寝るは…」と言います。院長は母に「体には気を付けてね、母さん…」と言って家を出て行きます。

 祐の父親は、祐の家に泊まっていました。祐が起きて、父親の所に行くと、蒲団がきちんとたたまれていました。そしてその上に「ありがとう、お元気で」というメモと預金通帳が置いてありました。祐は、その預金通帳を見ながら、父の言葉を思い出します。「心の底から愛しているから、口に出せないというか…」
 祐は肇に電話をします。「やっぱり萌奈美さんに伝える事は止めるよ。萌奈美さんが苦しむから…」

 院長が行方不明になります。予定されていた手術は中止となります。院長の母は善後策に追われます。そんな院長の母に、理恵が近寄ります。
 院長の母は理恵に「あなたには止めてもらいます。私はずる賢い人が一番嫌い…二度とこの病院に近寄らないで…」と言います。

 萌奈美と祐は外出します。そして、あのサクラの木を見に行きます。
 萌奈美が「冬のサクラ…まだ春は先ですね…」と言います。すると祐が「必ず春は来ます。」と言います。そして「萌奈美さん、約束しましたね。また、このサクラを見るって…一緒に見ましょう。春になったらまた見ましょう。満開のサクラを見ましょう。」と言います。萌奈美の心には安らぎがありました。
 祐は萌奈美に「冷えるといけないから、戻りましょう。」と言います。
 萌奈美は祐に「祐さん、今日はどうしてもやりたい事があって…」と言います。

 院長が山形の病院に来ます。そして、萌奈美と会おうとしますが会えません。受付で、外出許可が出ている事を知ります。院長は祐の家に行きますが、誰もいませんでした。院長は、萌奈美と祐を探し回ります。院長の目は異常としか思えませんでした。

 萌奈美と祐は、祐の家に戻って来ます。そして萌奈美は、祐の為に料理を作り始めます。まだ記憶が戻らない時に聞いたあの言葉を…
 「好きなおかずは何ですか」「肉じゃがかな…」
 萌奈美は祐の為に、一生懸命に作ります。しかし、思うように手が動きません。そして皮むき機を落とします。祐は「萌奈美さん、やっぱり無理はしないで下さい。」と心配そうに言います。萌奈美は「大丈夫、祐さんこっちに来ないで…」と言って、懸命に作ります。
 祐は出来あがった料理を見て「覚えてくれたんですね。」と言います。すると萌奈美が「あの時、作れなかったから…」と言います。
 「いただきます。」「どうですか。」「うまいです。」「良かった。」二人は会話をしながら、楽しそうに食事をします。
 そして萌奈美が「考えたんです。私は祐さんに何が出来るかって…これくらいしか出来ないんです…これが私の人生です。良かった、最後に祐さんに会えた事が…これが私の祐さんへの精一杯の気持ちです…」と言います。祐は「ありがとう。オレ、忘れません…」と言います。
 祐は食事が終わると、早咲きのサクラを求めに、花屋に行きます。そして、花屋の女性に早咲きのサクラをもらいます。祐は女性に「ありがとう。これ病室に飾ろうと思って…」と言います。女性は「本当に大切な人なのね。」と言います。でも女性には、祐への想いがありました。

 祐のいない家に、院長がやって来ます。萌奈美は、祐がいない間に気分が悪くなっていました。そして、玄関の物音に祐が帰って来たと想い、心を奮い立たせるのですが…そこに現れたのは院長でした。
 院長が「萌奈美、迎えに来たよ。」と言います。萌奈美は「あなたの元には戻らない…」と言います。院長は「なぜだ…僕だけの為に生きて欲しかった…あの男が現れるまでは問題なかった…」と言います。すると萌奈美が「それは違う…私には勇気が無かった…それを祐さんにもらったの…」と言います。院長は「どうしても僕の所には戻らないんだな…」と言います。萌奈美は「はい。」と答えます。
 すると院長は、メスの様な鋭い刃物を出して「あの男には絶対に渡さない。」と言って、萌奈美に襲いかかろうとします。ちょうどそこへ祐が戻って来ます。祐は院長に「いい加減にしろ、萌奈美さんは限られた命を必死に生きようとしているんだ…」こう言いながら、萌奈美から院長を引き離します。院長は「お前に何が分かる。萌奈美を愛しているんだ…」と言います。すると祐は「だったら萌奈美さんの事を分かって下さい。あなたが萌奈美さんを本当に愛しているのならば…」と言います。院長は「萌奈美への愛は、君には負けない…」と言います。そして院長は帰って行きます。
 萌奈美は、緊張に耐えられなくなって倒れます。祐は萌奈美を病院に連れて行きますが、萌奈美の様態は悪化していました。そして、心停止に陥ります。萌奈美の蘇生処置が始まります。祐はその様子を耐えながら見ていました。
 ここで、萌奈美のナレーションが入ります。「命のともしびが、少しづつ消えて行くのを私は感じ始めていました…」と
 祐のもとへ肇がやって来ます。祐は肇に「オレどうしたらいいか…オレ、やっぱり無理だ…萌奈美さんが本当に消えてしまうなんて、耐えられない…生きててほしいんだ…オレ、院長に頼んでみる…手術してもらえるように…」と言います。
 この続きはどうなるのでしょうか。次が楽しみです。

 今回は、物語に少し展開がありました。祐の父が現れ、祐は母と父の愛があって産まれた事が分かりました。祐の父親もそれなりに好い人である事が分かりました。そして親子と言うか、血のつながりと言うか、父の言葉「心の底から愛しているから、口に出して言えなかった…」に、感ずる物があったのか、萌奈美に対して、自分の気持ちを言わない事にしました。祐の気持ちの優しさが描かれていました。
 それから、院長の母親も常識的な人である事が分かりました。ただ、院長の母親は、世襲のプレッシャーというものをあまり理解していなかったようです。世襲をする二世や三世には、自分の意志とはかかわらず、周りからは「やれて当然」という目で見られます。その期待に答える為には、相当のプレッシャーが掛かると思われます。政治で言えば、地盤・看板・鞄がすでにあるから選挙には有利で、羨ましがられます。でも世襲議員に対しての期待はそれだけでは済まないのです。親である大政治家と常に比較され、大臣は当たり前で、常にその上を期待されます。このプレッシャーに耐えることが出来ずに、消えて行く世襲議員は少なくありません。
 医者の世界も同じ事です。まず、実力で医者にならなければなりません。そうしなければ、親の病院を継ぐ事が出来ません。親の病院を継いでも七光りと言われます。それに負けないだけの力を付けなければなりません。そのプレッシャーはやった者でないと分からないと思います。院長の母は、こんな事が起きるまでは、上手く育てたと思っていたのでしょうが、院長のメンタルな部分までは分かっていなかったのです。時にはゆとりを持たせてやるべきだったのでしょうが…でも、これは結果論かもしれません。誰も院長の母を責める事は出来ないと思います。
 それから琴音ちゃんが、大人になりましたね。この時期の子は、育て方が難しいと思います。でも、目と目を合わせて、ちゃんと話せば理解は早いと思います。日頃の関係が重要なのかもしれません。
 肇は、ただ、母親を憎んでいたんじゃ無かったんですね。やっぱり祐の弟です。そして、兄への想いが美しいですね。好い弟です。
 萌奈美も祐に、精一杯の思いやりを見せます。自分にはこれしか出来ないと思い。動かない手で、祐に肉じゃがを作ってあげます。こんな小さな幸せが、本当の幸せだと思います。ただ、長続きしない、一度だけの思い出は淋しいですね…

2011年3月3日木曜日

三月三日はひな祭り、そして母の誕生日

 三月三日は雛祭りです。そして母の誕生日でもあります。昨年は、ショートステー先の老人介護保険施設にいました。母と私と作業療法士さんの三人で、一生懸命にリハビリに励んでいました。母は在宅が希望で、家で生活する為にはリハビリが欠かせないという事が、自分でも良く分かっていました。作業療法士さんも、「お母さんのようにリハビリをされる方は珍しい。」と言われていました。おかげで、悪い方の足をかばって、良い方の足に魚の目ができました。我慢強い母は、我慢が過ぎて悪化させ、切開しなければいけませんでした。なかなか傷口が良くならず、おかげでリハビリがあまり出来なくなって、足腰が弱るという悪循環でした。でも、リハビリをしている時は、「家に帰るぞ、生きるぞ。」という気迫が、目の輝きで良く分かりました。
 リハビリが終わると母は、作業療法士さんや看護師さんに「今日は私の誕生日です。85歳になりました。」と嬉しそうに話していました。看護師さんが「お雛祭りが誕生日ですか。いいですね。」と言われました。母はニヤッと笑ってハニカンデいました。私は家に帰る時間が来たので、母を車いすでトイレに連れて行き、小便をさせて、入所者の皆さんが居るラウンジに母を連れて行きました。
 この別れの時が、私には一番辛い時でもありました。「そいじゃ帰るよ。バイバイ。」と手を振ると、母は何度も淋しそうに手を振ります。心細くて自信なさそうな顔をしてです。母は痴呆は無いのですが、老人性の鬱で不安症だから、家に居る時は私が側にいないと駄目なのです。それが分かっているだけに余計に辛かったです。
 あくる日は、お風呂の日で、何時もよりも早く施設に行きました。すると、看護師さんがかけよって来て、「お母さんが、お風呂に入っている時に気分が悪くなられて、今お部屋で寝ていらっしゃいます。」と言われました。私は直ぐに母の部屋に行きました。母の顔は真っ青で生汗をかいているようでした。看護師さんが、「もうだいぶん落ち着かれました。急にお腹が痛いと言われましたので、直ぐにお風呂からあがってもらいました。たぶん便秘のせいかもしれません。浣腸をして便が出たので、もう大丈夫だと思います。」と言われました。私が母に「どげんね。」と聞くと、母は「だいぶん良くなった。」と小さな声で言いました。私の顔を見て安心したのかもしれません。
 私は、母の便秘の事は前々から注意していました。父方の大叔母が、便秘が元で手術をして、亡くなったからです。家にいる時には、薬で調節したり、肛門の近くをマッサージしたりして、二・三日おきには必ず出すようにしていましたが、母の体調のせいで、家に居るよりは、施設に居る方が長くなり、排便の調節がなかなか上手くいっていませんでした。施設に居る時は、施設のルールもありますし、二十四時間付き添う訳にもいきませんし、なかなか難しい問題でした。私は母に、「今日は何もせんで、一日寝とかんね。」と言いました。母は力なくうなづきました。
 それから一時間ぐらいして、だいぶん落ち着いて来たようなので、私は母に「何時ものおやつば食べるね。(リンゴをミキサーにかけて、トロメリンという凝固剤でムース状にした物)」と聞きました。母が「食べる。」と言ったので、ベットから起こして食べさせました。私が「美味しかね。」と聞くと、母は「美味しか。」と言ってくれました。私も母の様子を見て、一安心しました。私は母に「そんなら、また寝とかんね。」と言って、また寝かせつけました。
 それからしばらく時間が過ぎて、何時もの帰る時間がきました。私は母に「体の調子はどげんね。お腹は痛かね。」と聞くと、母は「前よりも良かばってん、まだちょっといかん。」と言いました。私はそれから一時間位、母の側に居たのですが、看護師さんが「もう、帰られても大丈夫ですよ。私たちが付いているし、本院には先生もおられますし…」と言われたので、私は母に「もう帰ってもよかね。」と聞きました。母は不安そうな顔で、小さく「よかよ。」と言いました。私はその言葉を信じて、後ろ髪を引かれる想いで家に帰りました。
 その日の夜は、胸騒ぎがしてなかなか寝付かれませんでした。すると明け方五時に、電話の音が鳴り響きました。私は飛び起きて電話を取りました。すると当直の看護師さんからでした。「お母さんが、心肺停止になられました。直ぐに来て下さい…」私は電話を切ると、兄たちに連絡して、直ぐに車に飛び乗りました。まだ外は暗く、不安が増しました。私は車の中で叫び続けました。「お母さん…お母さん…逝ったらいかんよ…逝ったらいかん…」と気が狂いそうでした。
 施設に着くと、母はナースステーションの前の広いラウンジにベットごと連れて来られて、そこで蘇生処置を受けていました。私は母の耳元により、大声で「お母さん…お母さん…」と呼び続けました。程なくして、兄たちも駆けつけてきました。兄たちも心配そうな顔で、母の蘇生を見ていました。まだ母の手足は暖かく、私には何が何だか分かりませんでした。お腹を触ると、お腹がパンパンに膨れ上がっていました。私は「どうして…どうして、こんなにお腹が膨れていると…お母さん…お母さん…」と叫び続けました。冷静になって考えれば、蘇生処置の影響でそうなっているのだと分かるのでしょうが、その時の私にはそれが出来ませんでした。
 そんな様子を見てか、下の兄が先生に「蘇生処置はもうどれ位されていますか…」と聞いていました。そして、「もう駄目よ。おふくろば楽にさせてやろう…」と言いました。私は、仕方なくそれに同意しました。先生が、「だいぶん良くなってきたから、少しづつ家で生活をする時間を長くしようね。」と言われた矢先の事でした。まさか、こんな事になるとは夢にも思っていませんでした。三月五日の午前五時五十分でした。
 実を言うと、この日のあくる日(三月六日)に、父の三十三回忌の法要をする予定でした。しかし、私は母の体調も考えて、母が二月の月末に家に帰って来た時に、「お母さんが法要に出席するとは大変やから、帰って来ている間にお墓参りだけでもしておこうか…」と言って、母の納得のうえでお墓参りをさせて置きました。だから、父が母を呼びに来たのかなとも思いました。私と母は何時も喧嘩ばかりしていました。でも、私は私なりに、一生懸命に母の介護をしたつもりです。母も、家の玄関のスロープを車いすで昇り降りする時などは、決して施設の人にはさせず「他の人がすると恐いけん、あんたがせんね。」と言って、誰よりも私の事を信頼していたと思います。ただ、一つだけ心残りがあります。看護師さんが「もう大丈夫ですよ」と言われた時に「本院でCTを撮って下さい。」となぜ言わなかったのか…CTさえ撮っておけば…という気持ちが心の中を駆け巡っています。
 あれから一年が過ぎました。あっという間でした。まだ、茶の間の母の指定席だったテーブルや寝室の破れた襖(母が夜中にひとりで起きて、倒れて突き破った襖)も全てがそのままです。母がいつ戻って来ても直ぐに生活が出来ます。しかし、母はもう戻って来ません。
 ありがとう、お母さん。
娘より

2011年3月1日火曜日

TBSの「冬のサクラ(2/27)娘に遺す最後の言葉」

 萌奈美は、ただ穏やかに過ごす最後の場所を探しているだけでした。そして祐といる時、安らぎを感じていました。
 萌奈美は、病院を逃げ出した後、祐と二人でホテルの部屋を取り、琴音の為にレシピを完成しようとするのですが、なかなか筆が進みません。祐は、そんな萌奈美を見て、体を休めるように諭します。あくる朝、祐が気付くと、萌奈美は琴音へのレシピを完成していました。
 萌奈美が家に帰ると、院長の母は、「どう言うつもりなの、琴音はショックで学校にも行けなくなったのよ…」となじります。萌奈美は琴音に会い「お守りを持って来てくれたそうね。ありがとう…ママは手術をしない事に決めたの…パパと一緒にいる事が出来なくなったの…」と本心を告げました。琴音は「あの人(祐)のせいなの…」と言ってその場から立ち去ります。
 萌奈美は、義母にも本心を告げます。「航一さんは、手術をすれば良くなると嘘をつきました。他の先生は、難しい手術なので、成功しても記憶を失ったり障害が出ると言われました。記憶を失う事は困るんです。琴音の事だけは忘れたく無いんです。すみません…あの子をよろしくお願いします。」義母も萌奈美の言葉を理解したようでした。
 萌奈美の想いは、「残された時間は減っていきます。私は終わりの時を迎える準備をしました。心穏やかに迎えることが出来るように…」ただこれだけでした。

 肇は院長に会い「あなたが院長をしている病院で働きたくない。」と言って辞表を出します。祐は萌奈美に電話を掛けますが、琴音が出て、「ママを返して…」と言われます。
 萌奈美は女から電話があり、女の所で相談することになります。それが女の罠とも知らずに…そして、そこへ院長が現れます。女は院長へ「遅かったじゃないの…」と言います。萌奈美はそんな二人を見て驚きます。
 院長は「萌奈美、こんな女の事はどうでもいい。家に帰ろう…あの男の弟が病院を辞めたよ。君とあの男がみんなの人生を狂わせているんだ…君にはもう行く場所が無い…」と言います。そして女に「どういうつもりだ…」となじります。女は「隠しておくのが、面倒になったのよ。」と答えます。院長は、「君とはもう終わりだ。もっと利口だと思っていた。」と捨て台詞を言って、萌奈美を追いかけます。

 院長は家に帰ると母に「何で萌奈美を止めなかったんだ…」と怒り出します。母は「何で嘘をついたの…あなたはとんでもない事をしているのよ。萌奈美さんは、親として当然の事をしているのよ。もう遣りたいように遣らせなさい…」と言います。しかし院長は逆上して、「冗談じゃない。萌奈美は僕の妻だ。僕の為にだけ生きなければならないんだ。」と言います。母はこの時初めて、院長の異常性を感じたようです。
 肇は、「仕事の事を大学の先輩に相談してくる…」と言って外出します。安奈は外出する時、祐にゴミ捨てを頼みます。祐がゴミ捨てをして帰って来ると、誰もいないはずの部屋に院長がいました。院長が「萌奈美はどこだ…」と聞きますが、祐は「知っていても教えない…萌奈美さんは、残された時間を安らかに過ごしたいだけだ…」と言います。院長は「お前が萌奈美の為に何が出来る…」となじります。

 萌奈美は学校の前で琴音を待ち伏せします。そして琴音と会います。
 萌奈美は琴音に話しかけます。「ママの話を聞いて、ママはあなたの成長を見るのが楽しかった…母に成るのが嬉しかった…だけど、パパとは本当の家族に成れなかった。考え方が違いすぎて別れることにしたの…」琴音は「あの人のせいなの…私をなぜ連れて行かないの…」と言って、走って逃げて行きます。
 祐はホテルで萌奈美を待っていました。萌奈美は祐に琴音の事を「最後まで、聞いてもらえませんでした…娘を苦しめてしまいました…」と言います。そして院長の言葉を思い出します。「これ以上あの男に頼ると、みんなを苦しめることになる…」
 祐は萌奈美が入院する病院が無いことを心配しているのですが、萌奈美は祐に、入院できる病院が見つかったと嘘をつきます。そして、少し疲れたと言って部屋に戻ります。祐は、また明日連絡をしますと言って別れます。

 祐はアパートで、肇たちと話をしていました。肇が「ゴミ捨てから戻ったら、部屋に院長が居たんだって…警察に訴えた方がいいよ…」と祐に言います。そして「兄ちゃん、萌奈美さんに好きとか愛しているとか言ったの…」と聞きます。祐は「いいや、萌奈美さんが困るから…萌奈美さんは、琴音ちゃんの事を一番心配しているんだよ…萌奈美さんの事を苦しめたくない…琴音ちゃんが可哀そうだ…」と言い、萌奈美と琴音に思いやりを見せます。
 院長は、萌奈美を探し回ります。しかし萌奈美は見つかりません。院長が自宅に帰ると母と言い争いになります。母は「もう少し、萌奈美さんの事を心配したら、もう長く生きられないんだから…」と言います。琴音がこれを聞いていました。
 祐は琴音に電話を掛けます。「オレが言うのも可笑しいけれど、ママは琴音ちゃんの事を一番大切に思っているんだよ…」と言います。琴音は祐に「ママは、本当に死ぬの…」と聞きます。そして、琴音は台所で、萌奈美の書いたレシピを見つけます。琴音は涙をこらえることが出来ませんでした。
 祐がホテルに行くと、萌奈美はすでにチェックアウトしていました。祐に手紙を残して「弟さんまで巻き込んですみません…あなたといる時が幸せでした…ありがとうございました。」と書いてありました。
 萌奈美は一人で去って行きました。「泣きたくなると、いつもこの木を見に来ていました。そうすると、「もう大丈夫…」そんな気になるんです…」と言った、祐の言葉を思い出しながら…

 友人の警察官から祐に電話が入ります。「萌奈美を見かけたと…」祐は琴音に電話をします。そして、琴音に会って話します。「お母さんは山形に行ったみたいです…」祐は萌奈美が撮った写真を見せて「ここに行ってるみたいです…僕は山形に行きます…」と琴音に言います。琴音は祐に「ママは、なぜ手術しないの…」と聞きます。祐は琴音に「手術をすると記憶を失うからだよ…お母さんは、君の事を忘れたくないんだ…琴音ちゃんが一番大切だから…お母さんの事を信じてあげて下さい…」と言って山形に向かいます。
 祐は、あの木の所に行きます。そして萌奈美と会います。萌奈美は「あのサクラの木をもう一度見たいと思って来ました。私は、祐さんに迷惑を掛けてしまいました。そして、娘にも心配を掛けてしまいました。」と言います。祐は「萌奈美さんと琴音ちゃんは、今まで生きて来た絆がある…大丈夫です。」と言います。萌奈美も「大丈夫…そうですね…」と言います。そこへ琴音が来ます。「ママごめんね。ひどいこと言ってごめんね。」と言います。萌奈美は「もう一度ここに来たら元気が出ると思って来たのよ。本当は春になって見たかった…ママはあと少ししかあなたの側にいてやれない…でも、ずっとあなたの事を見ているから…だから自分の信じた道を歩いて行って…」
 萌奈美は終わりの準備を始めます。心穏やかな日々が来ることを祈りながら……でも……
 この続きが楽しみです。

 院長の母は、院長の異常さに気付きます。結局、母親の育て方に問題があったのです。あまりにも子供をコントロールし過ぎたのです。子離れ出来なかったのが一番の問題でしょうね。そして、萌奈美の友人でありながら院長の女となった理恵が本性を現します。こうなりたくないと思いますが、人間、立場が変わればどうなるかは、神のみぞ知るです。
 それにしても院長は病的です。脳外科医でありながら、自分の心理状態が分からないという事は……これが人間の性なのでしょうか。
 肇は、何やかやと言いながら、本当に兄思いの好い弟ですね。エリートコースを外れても兄の恩を忘れない弟、こんな弟なかなか今どきいませんよ。それから安奈の明るさが好いですね。この作品は、全体的に暗くて重いのですが、安奈(加藤ローサ)の明るくてヒョウキンなところが生きています。
 それから、忍ぶ愛と言うのかな…祐の胸に秘めた想いが痛々しいですね。愛する人の想いを成し遂げる為に、自分の心を抑え忍ぶ。初めての愛がそうさせるのかもしれませんね。
 萌奈美の母の愛も良く描かれているように思います。今井美樹の本職ではない、軽さが好いのかもしれません。