2011年4月28日木曜日

TBSの「JIN-仁-第2回(4/24)未来との選択」見ました

 脚気に効く菓子として考案した餡ドーナツが、江戸で評判になっていました。そんなある日、仁は、奥医師で西洋医学所の松本良順から、「皇女和宮様に、餡ドーナツを献上して頂きたいのですが…」と言われます。仁が驚くと良順から、宮様には脚気の徴候があること、甘いものがお好きな事などを聞かされます。そして近いうちに、宮様がお忍びで、澤村田之助の芝居を見に来られるので、その時に献上して欲しいと言われます。
 仁は返事をせずに、良順と別れます。
 仁は仁友堂に戻って、餡ドーナツの献上の事を話すと、仁友堂では大騒ぎになります。ただ、福田玄孝だけが浮かぬ顔をしていました。
 仁は躊躇していました。再び歴史を変えてしまうのではないかと…一人思い悩んでいました。咲がその様子を見て心配すると仁は「私の様な人間が、大奥に出入りしてよいのでしょうか…ある日突然いなくなったりするのですから…直ぐにどうこうするわけではない、もう二年も江戸にいるのですから…」と言います。

 坂本と勝は、海軍操練所の執り潰しの件について相談していました。
 「先生のせいではありません。」と坂本が言うと勝は「ここに居る者たちの行き先を探してやらねば…」と言います。坂本は心の中で「もしかして、仁先生はわしらの運命を知っよるかも…」と思います。

 仁と咲は、注文していた医療用具を取りに行きます。そこで、代金が五百両と言われます。
 仁は「五百両…そんな…」と言って驚きます。すると店主が、「先生の注文は、特別なものですから…」と言います。
 仁は「仁友堂には、そんな金はない…先生たちには、給料も払ってない…どうすれば…」と言います。すると咲が、「私が何とか致します…」と言います。

 仁は、餡ドーナツをどうしようかと考えていました。「あまりにもこの時代の偉人に会いすぎている…オレは帰れるのだろうか…オレにも親がいる。それでもここで死ねるのか…ここに居る限り、ミキがどうなったか分からない…それでも好いと言える日が来るのか…」
 そこで偶然、野風と会います。そして仁は、そんな日はきっと永遠に来ない気がしました。
 仁が「長屋を追い出されたのですか。」と聞くと、野風は「色目を使っていると言われました。」と言います。仁が「お妾さんになるって言わないでしょうね。」と聞くと、野風は「ちゃんと堅気になります。先生に頂いた命ですから…」と言います。仁は野風に「仁友堂で働きませんか。給料は出せませんけど、食べるぐらいなら…」と言います。野風は、「そうして頂けるとありがたいです。」と言います。

 仁は野風を仁友堂に連れて帰ります。
 咲が出先から戻って来て野風と会います。咲は驚いて「野風さんがなぜここに…またガンが…」と言います。野風は「いいえ…落ち着き先が決まったら、また出て行きますので…」と言います。咲は野風を快く招き入れます。

 咲は仁に「先生、献上の件はどうしますか…御心が決まったら早めに教えて下さい。」と言って、仁友堂を出て行きます。咲は、自分の身の回りの物を持って質屋に行ったのです。そして、質屋の帰りに兄と会います。
 恭太郎は咲に「南方先生はご存知なのか…お前がこの様にしている事を…」と言います。

 仁は澤村田之助の所に居ました。
 田之助が「松本先生が、まだ返事をもらってないと言ってましたよ…」と言います。仁は「まだ決めていない。」と言います。
 田之助が「餡ドーナツの作り方を教えてください…」と言うと、仁は餡ドーナツの作り方を書いてやります。そして、「これをどうするんですか。」と聞きます。
 田之助は「芝居に使おうかと思って…あの方には帰る国がありません…あの方は日本で一番淋しいお方…束の間でも笑わせたい…」と言います。仁は田之助の話を聞いて、自分の境遇と宮様を重ね合わせて考えます。
 仁は仁友堂に戻って、野風の姿を見て思い出します。「野風さんも国が無いんですね…」と

 仁は松本良順に献上の返事をします。仁友堂のみんなは、張り切って餡ドーナツを作りますが、福田玄孝だけは浮かぬ顔をしていました。それは医学館の多紀元琰に呼び出されて、「献上を失敗に終わらせよ…」と脅かされていたからです。
 佐分利祐輔が仁に「先生、着物はちゃんとしたものを持ってますか…」と聞きます。仁は「これではいけないのですか…」と言うと祐輔が「当たり前です。宮様に会うんですよ…」と言います。仁はどうすればいいのか困ります。

 咲が質屋から買ってきた古着の着物を出すと仁は「こんな好い着物をどうしたんですか…」と咲に聞きます。咲は「兄に借りました。」と嘘をつきます。
 咲は仁に「なにゆえに急に献上を決めたのですか…」と聞きます。
 仁は「和宮様は、故郷に帰られないと聞いて…私と同じではないかと…野風さんの事を考えると、金を稼がなければ…野風さんには幸せになってもらいたい…ミキへのせめてもの罪滅ぼしに…」と言います。
 すると咲が「少し情けなくなってしまいます。私どもに変えられない気持ちを野風さんやミキさんは、容易く変えられる…」と言います。これは咲の嫉妬から出た言葉でした。

 咲が居なくなると仁は、たまたま有った仁友堂の帳簿を見つけました。そこにはこまごまと出納が書かれていました。そして、仁の着物の値段も…
 仁は思いました。「これは、オレと咲さんの生活の足跡だった…いつ消えてしまうか分からない男のたった一日の為に…だからと言ってオレはどうすればいいのだ…こんな中途半端な身の上で…何を言えばいいのだろう…」
 咲が仁の所へ来て、「あさはかな事を申し上げました。野風さんの手術を願ったのは、私でございました。責めは私にもございました。さあ作りましょう…」と言って、餡ドーナツを作りに行きます。

 野風は、そんな仁と咲の事を思っていました。
 「ずっと不思議に思っていました。先生も咲様も、なぜ私にこんなに親切にして下さるのだろうか…」まだ野風は、仁の秘密に気付いていませんでした。

 仁と咲は、餡ドーナツを持って田之助の芝居小屋に行って、宮様の到着を待っていました。宮様が到着して仁に会うと、宮様は目ざとく餡ドーナツの入った重箱を見つけます。宮様は立ちながら餡ドーナツをつまみ食いします。お付きの者が「まだ、お毒味が済んでおりません。」と言うと、宮様は「餡ドーナツは薬じゃ…薬に毒味はいらぬ…」と言います。
 宮様は餡ドーナツを気に入ったようで、田之助の芝居を見ながら餡ドーナツを食べていました。そして、用意されていたお茶を飲むと急に倒れました。その場は騒然となり、お付きの者や良順が駆けつけます。そして宮様を控えの間に連れて行きます。この騒動の間に、宮様が飲んでいた湯のみが消えていました。
 仁と咲は宮様の所へ駆けつけます。仁が良順に「宮様はどうなさいました…」と聞くと、良順は「たぶんヒ素でしょう…とりあえず油を飲ませます…」と言います。
 仁は良順に「胃を洗いましょう…」と言います。すると良順が「私はそのような事は出来ませぬ…」と言うと、仁が「私が…」と言います。するとお付きの者が「南方先生は、奥医師ではありませぬ…」と言います。仁が「やり方は私が教えます…」と言うと、良順は覚悟を決めたのか「今は、宮様を救うのが一番です。」と言って、お付きの者を制し、仁に教えを請うことにしました。

 良順と仁の懸命の治療によって、宮様は一命を取り留めます。しかし仁と咲は、お付きの者たちに捕縛されます。そして頭が仁に「出世をたくらんだであろう…」と言います。
 良順が「餡ドーナツの毒味はしたではありませぬか…その者は何ともありませぬ…」と言うと、頭は「良順殿が知らない治療をしたのですから、良順殿が気付かぬうちに毒を入れたのかもしれませぬ…いずれにせよ吟味されるべきです…」と言います。
 良順は頭を見つめて「そうでしょうな…毒味役やその他の方々も等しく…」と言います。良順は影の力が働いている事に気づいていました。

 仁は牢に入れられます。咲も独居牢に入れられます。
 牢名主が、仁や他の新入りに「よく来たな…お前らの命のつるは持って来たか…」と言います。すると新入りが「襟に縫い付けて、二両二分を持って来ました…」と言います。牢名主が仁に「オマエは…」と聞きますが、仁は「そんな金は持って来ていない…」と答えます。すると罪人たちが、よってたかって仁を殴りつけます。牢名主は「牢を甘く見るなよ…」と言います。古株の罪人が「役人に、つるを持って来させたら出られるぞ…」と言います。

 咲の兄の恭太郎が、仁と咲の事を心配して仁友堂にやって来ます。「何が起きたのか…」と言います。仁友堂は騒然としていました。
 医者の一人が「つるがあれば守られるかもしれない…」と言います。
 野風は、「お二人にはよろしくと…わちきは仲間に見られたくありませぬ…」と言って仁友堂から出て行きました。仁友堂の人たちは、野風が遊女であった事をなじります。しかし、野風の笑みには、何か隠された考えがあるようでした…それはつるのお金を工面しようと考えていたようにも思われます。
 そんな中で、福田玄孝の様子だけがおかしかったのです。医者の一人が「福田先生、何をそんなにオドオドしているのですか…」と問い詰めます。

 その時咲は、牢番に言われます。「あの男、殺されるぜ…医者ならばあがりやに行かせられるのに…何故にか大牢に入れられた…」と…

 仁は思います。「何も分からなかった…誰が何のために…オレを陥れる為にか…」その時仁は、象山の言葉を思い出します。「もし、オマエのやった事が意に済まぬ事であったならば、神は取り消す。神はそれほど甘くはない…進め、進むのじゃ…」

 牢名主は仁に言います。「つるを払わないと言った事を取り消さないのか…」と
 仁は「払いません。私が持っている金は、患者が払ったなけなしの金です…仲間はそれに手をつけず、爪に火を灯す生活をしています…あなた方に払う金はない…」と言います。そして、また殴られ続けます。
 仁は思います。「オレはここで殺されるのか…それが神の意志か…」

 咲は思います。「今まで分かっていたのに…仁先生にずうっとここに居て欲しいと思ったから…もしやそんな私を哀れと思い、神が願いをお聞きとって下さったのでしょうか…ならば、どうかもう一度だけ哀れと思って下さいまし。どうか先生をお助け下さい…今すぐに…先生を未来にお戻し下さいまし…」

 仁は罪人たちに殴られながら思います。「これは幻か…それとも、このまま死ねばオレは元に戻れるのか…でも、ここで戻ったら、咲さんがどうなったのか分からない…それでも何時か新しい日の中で…それでも良かったという日が来るのだろうか…そんな日など…そんな日など…絶対に来ない…と思うのならば、オレはここで生きるしかないんだ…」

 仁友堂では、福田玄孝がみんなに問い詰められていました。そして福田玄孝は、医学館の多紀元琰に、「餡ドーナツの献上を上手くいかないようにせよ。」と脅かされていたことを白状します。すると仁友堂の人たちは口々に「医学館の脅かしか…医学館が詮議することになったそうだぞ…先生はどうなるんだ…」と言いました。
 ここで次回に続きます。次回はどうなるのでしょうか。楽しみです。


 どの時代にも、守旧派と改革派のせめぎ合いはあるものです。そして、幕末の医学界では、医学館と西洋医学所とのせめぎ合いでした。仁はこのせめぎ合いに巻き込まれてしまったのです。漢方を代表する医学館では、外科はともかく内科は五分以上に戦っていると思っていたのですが、そこに仁という化け物が現れたのだからたまりません。均衡がとれていたはずの力関係が一気に崩れようとしていたのです。そこでこの事件を起こし、責任を仁にかぶせようとしたのです。医の道の為ではなく保身の為に…

 仁は大牢で、罪人たちに殴られている時に象山の言葉を思い出します。「もし、オマエのやったことが意に済まぬ事であったならば、神は取り消す。神はそれほど甘くはない…進め、進むのじゃ…」この言葉こそが、仁にとってはたった一つの心の支えだったように思われます。だから窮地に追い込まれた時に、医者本来の姿、すなわち患者の為にどうあるべきかという医の道に戻れたのだと思います。

 咲は野風やミキに対して嫉妬しました。「私が進言しても献上されなかったのに、野風やミキへの想いからならば、簡単に献上することを決められる…先生の為にこんなに尽くしているのに…」という想いが感じられました。仁も出納帳を見て、咲の想いを分かるのですが、中途半端な自分の立場を考えると、どう答えるべきか分かりませんでした。
 仁の心は江戸と未来との間で揺れていました。未来に帰る事をあきらめたら、ミキの様態がどうなったか分からない…未来に戻れば、咲が助かるかが分からない。ただ、神に自らの運命を委ねる事しか出来ませんでした。

2011年4月20日水曜日

TBSの「JIN-仁-(4/17)第一回 時空を超えた愛と命の物語」を見ました

 仁が幕末にタイムスリップして二年が過ぎていました。
 「オレはいつまでここにいるのだろうか…オレはここから抜け出せるのだろうか…せめて、君の腫瘍を治せるように何かをつかまなければ…オレは何のためにここに送られて来たのだろうか…」仁は自問自答をしていました。
 仁友堂は、外科の患者は少なく、福田玄孝の内科に収入を頼っていました。
 咲は、結納の席から逃げ出して勘当になり、そのまま仁友堂に居付いていました。
 仁や周りの医者たちが、咲が落ち込んでいるのに気付き、仁がそれを咲に聞くと、咲は「私は結納を放り出して、こちらにまいった身ですので…」と答えました。
 仁が「一度帰った方がいい…」と言うと…咲は「未来では、こういう事があるのですか。」と尋ねます。仁は「結婚式のドタキャンというのがあります。」と答えます。咲が「未来では許し難い事なのですか…兄より上役…その場合…」と尋ねると、仁は「ちょっと気まずいですね…」と答えます。咲は「そういうしだいでございますので、この件についてはお忘れくださいまし…」と言います。

 仁は咲のことが心配で、咲の実家を訪ねます。咲の兄の橘恭太郎に会って、咲の母栄が脚気であることを明かされます。恭太郎によると、数日前に栄の身を心配して、咲が橘家を訪れ、医師に診てもらうように進言したのだが、咲をいまだに許していない栄は、咲が橘家の敷居をまたぐ事を許さなかったということでした。そして恭太郎は、「先生に詫びて頂く筋合いではありません。」と言います。仁は恭太郎に「栄さんを診察させて下さい。」と言います。
 江戸時代脚気は、「江戸わずらい」といい、手足のしびれや末梢神経のしびれが起き、心臓に負担が掛かる死の病でした。江戸時代は、何よりも白米がごちそうであり、おかずをあまり食べる習慣が無かったので、ビタミンB等が不足して起きていました。

 仁は栄に会います。そして、「栄さんを診察させてください。」と言います。
 栄は守り刀を抜くと仁に「先生は守り刀のようなお人です。人を守る事もしますが、傷つけることもします。先生にお会いできて、恭太郎の命は助かりましたが、咲はあのようになりました…」と言います。そして、「診察だけはお受けいたします。せっかくご足労されたのですから…」と言って、仁の診察を受けます。
 そして、仁が「脚気は治ります。」と言うと栄は、「生きていたとして、これより先、私にどのような望みがありましょうか…恭太郎が武家としての誇りを取り戻し、咲が嫁ぐ事が出来るでしょうか…お引き取りを…」と言います。栄は生きる意欲を失っていたのです。

 仁は仁友堂に戻ると、咲と話します。
 咲は「私への罰です…私は黙って受けるしかありません。」と仁に言います。仁は「それは違います…咲さんは医者でもあります。黙って見ているというのは違うんじゃないですか…薬と悟らせずに食べさせればよいのですよ…」と言います。
 咲は「母は、江戸かりん糖が大好きでした…独り占めして食べるほどに…」と言います。
 仁は「甘いもので…甘いものだ…」と言うと、ドーナツを作る事を思いついて作ります。そして、栄にドーナツを食べさせる為に一芝居打つ事にしました。大吉屋で新商品を売り出す為に、試作したドーナツの味見をしてくれと喜市が持って来た事にしたのです。
 しかし、栄はドーナツを食べようとしませんでした。すると恭太郎が、「子供の気持ちがございます。食べて下さい。」と言います。栄は「では、一口だけ…」と言って、一口食べます。そして、「もう充分です。喜市ちゃん大変美味しゅうございましたよ…」と言って、喜市を返します。

 喜市がみんなと一緒に帰っていると、偶然に喜市の母親が辻斬りに会った場所に行きつきました。「おっかさん、この辺で切られたんだよな…」と言います。仁は喜市に「ごめんな、思い出させて…」と言います。すると喜市が「明日も明後日も、食べて下さるまで持って行こう…おいら、見送るのはもう嫌だから…」と言います。
 咲は「母は気付いたかもしれません…」と言います。

 そこへ龍馬が来ます。
 龍馬は「お手上げじゃ先生。京に上ってほしい。そこである人物を治療して欲しい…佐久間象山という日本一の蘭方医で蘭学者で砲術か…勝先生の先生じゃ…」と言います。
 仁は「少し時間を…栄さんが脚気なんです。いつ心臓が止まるかもしれない…ここを離れるわけには…」と言います。

 咲は仁と二人だけになると「母の事はお気にしないで下さい…いざとなれば私が…」と言います。
 仁は「そうじゃないんです。佐久間先生を助けていいものか…歴史が変わるかもしれない…」と言います。
 咲は「ですが先生は医者、黙って見ていてはいけないのでは…」と言います。
 結局仁は、京に行く事になります。仁は、ペニシリンが熱や湿気に弱いので、ペニシリンを乾燥させて持って行く事にします。
 咲は、母に少しでも多く食べさせる為に、餡ドーナツを開発します。

 この時代の旅は過酷です。京までは、蒸気船で行く事になりました。蒸気船の上で、龍馬と仁は、佐久間象山や世情の事について話します。
 龍馬は「象山先生を襲ったのは、松代藩の家老…象山先生は、百年先を見据える事の出来る天才や…それゆえに傲慢で敵も多い…海の向こうには、とんでもない敵が多いのに…この国はどうなるのか…薩摩と長州は犬と猿ぜよ…」とまくしたてます。
 仁は「オレにそんな事が出来るのだろうか…神はオレにそれを許すのだろうか…」と悩みます。

 仁は京に着くと、象山の隠れ家に案内されます。そして、診察をしようとした時です。首からかけて、身に着けていた物を見て「何ということだ、これは…」と思います。仁は動揺を隠すようにして診察をします。
 お付きの者に「この状態で生きている事が奇跡です…この身に付けてある袋はどうされた物ですか…」と言います。するとお付きの者が「もうずいぶん前から身につけられていました。子供のころからという話です…」と言います。
 仁は手早く処置をしながら考えます。「この袋の素材は、この時代の物ではない。これを自分で作ったのなら、象山先生は怪物だ…そうでなければ、未来から来た人かもしれない…先生と話してみたい…」
 仁は処置が終わると、意識が無く寝ている象山に聞きます「この時代は、あなたの目にどう映りましたか…私はここで、何をすべきでしょうか…」だが、象山が答えるはずもなかった。
 象山の様態が安定していたので、仁は象山の部屋から離れていました。そこへ、お付きの者が象山の急変を知らせに来ます。仁は象山の部屋へ駆けつけます。象山は心停止をしていました。仁は懸命に蘇生を行います。そして象山は蘇ります。
 象山が仁を見て言います。「わしを呼び戻したのはオマエか…」そして、点滴を見た象山は「はずせ…」と言います。象山は、仁の正体を直ぐに悟りました。

 「オマエは未来から来たのか…わしは行ったくちじゃ…まだ10歳のころじゃった…木から落ちて頭を打った…気がつくと、白い服を着た者たちが、わしを治療していた…点滴はそこで初めて見た…ある日、窓から外を見た。そこで見た景色は、今まで見たこともない建物が立ち並び、夢のようであった…しかし、建物の向こうには、故郷の山があった…全てが驚きであった…
 しばらくしたら階段から落ちて、また頭を打った…そして、もとへ戻った…夢かと思った。しかし、この網があった。
 わしは未来へ近づこうと思い、あらゆるものを学んだ…オマエがうらやましい…オマエには知識がある…その知識を使え…」
 仁は象山に「それは許される事でしょうか…」と聞きます。
 すると象山が仁に言います。「それこそが神の意思じゃ…歴史を変える為につべこべ言わずに進め…もしオマエのやったことが意に済まぬ事であったならば神は取り消す。神はそれほど甘くはない…進め、進むのじゃ…」
 ちょうどその時、薩長の戦で放たれた火が、象山の隠れ家を襲い始めた。仁は象山に言われるままに隠れ家を後にした。

 外の世界は変わっていました。大火事でけが人があふれていました。仁はけが人を助けようとしますが、山田純庵に「一人助ければ、我も我もと押し寄せます。止めた方がいいです。ペニシリンはあと僅かしかありません。」と言われます。
 しかし仁は、「出来る事だけはしましょう…象山先生に会わせる顔が無い…とにかく、安全な所に治療所を確保しましょう…」こうして仁たちは、けが人の治療を始めます。
 そこへ坂本龍馬が、けがをした長州兵を連れてきます。仁はその長州兵を治療するのですが、長州兵は生きる気力を失い、素直に治療を受けようとしませんでした。すると龍馬が「やり残した事はないのか…」と問い質します。長州兵は「一つだけ…」と答えます。龍馬は「それじゃ、生きろ…」と言います。
 そこへ、長州の残党狩りがやって来ます。龍馬は、残党狩りを自分に引き寄せて逃げて行きます。長州兵は仁に「先生、あのごじんは…」と聞きます。仁は「土佐の坂本龍馬です。」と答えます。

 仁たちの噂を聞きつけて、新撰組がやって来ます。そして、一ツ橋慶喜の命と言って仁を薩摩藩邸へ連れて行きます。そこで仁は、西郷隆盛と会います。
 西郷は虫垂炎に掛かり苦しんでいました。仁が診察すると、西郷の病状は重く腹膜炎をおこしかけていました。仁は西郷に病状を説明し、手術が必要である事を伝えますが、西郷や取り巻きの者は、手術する事を認めませんでした。そして西郷は仁に帰るように言います。仁は、そこから帰ろうとするのですが、西郷の苦しんでいる姿を見て「切らせろ…オレに腹を切らせろ…オレが治していた人たちは、あんたたちが焼け出した人たちだ…でも、今ここで西郷さん、あんたを見殺しにすれば、オレはあんたたちと一緒になる…だから助けさせて下さい。私の為に助けさせて下さい。」と言います。
 西郷は、仁の必死な様子を見て手術する事を決意します。そして「オイが助からんやった時も先生に手出ししたらならんぞ…先生お願いします。」と言います。
 仁は思います。「いくらオレが歴史音痴でも知っている。西郷隆盛は、明治維新の立役者だ…」

 仁から山田純庵のもとへペニシリンを持って来るように知らせが行きます。純庵は「ペニシリンはこれまでだ…先生が必要と仰るのならば持って行く…」
 こうして仁と純庵は、西郷隆盛を手術します。仁は「歴史が変わる…これで歴史が変わるのか…ただ、今は…」葛藤しながら手術をします。
 手術中に、長州の残党が押し寄せてきます。そして切り合いが始まります。長州の残党は、薩摩藩士に切り殺されます。仁は恐怖で呆然とします。その様子を見て、純庵は仁の頬を叩きます。「先生、手術中です。」我に戻った仁は、手術を続行します。こうして、西郷の手術は成功します。

 仁たちが治療所に帰って来ると、仁が治療していた子供が、母親に抱かれて死んでいました。ペニシリンが無くなっていたのです。
 仁は「西郷さんを助ける代わりに子供が死んだ…」と悩みます。そして「それから数日間、オレは患者を見送り続けた…オレは無力だった…神の定めた歴史の前に…オレは何の為に来たのだろう…この時代に…」と思い続けます。

 江戸に帰る途中の蒸気船上で、龍馬と仁が話しています。
 龍馬は「一つしかない、もういっぺん産まれて来たいと思えるような国にしなければ…」と言います。
 仁は思います。「だけど龍馬さんもそう遠くない日に死ぬ。運命を知っていれば避ける事が出来るかも…」そして、その事を龍馬に言おうとします。「龍馬さんは、これから日本中を掛けづり回ります…その途中であん…」ここまで言うと、仁は発作を起こします。そして、頭を抱えて倒れます。これが神の定めなのかもしれません。

 仁は夢を見ていました。咲の実家に行くと誰もいない夢でした。栄がいない…仁はあわてます。そして気がつくと蒸気船は江戸についていました。仁は蒸気船を降りると急いで咲の実家へと向かいます。そして栄の部屋を開けると、そこには栄の。夢と同じ光景でした。すると後ろの方から、栄の声がしました。「お久しゅうございます。このたびは…」仁が振り向くと、栄の姿がありました。仁は「よかったです。よかった…」と言います。栄の脚気は治っていました。
 栄はドーナツを見て「これを考えたのは先生でしょう。一口食べて分かりました。」と言います。仁は「どうして食べたのですか…」と聞きます。
 すると栄は「意地でも食べるものかと思っていたのですが、喜市ちゃんが毎日訪ねて来ました。私が、もう生きたくないと言うと、オイラもそうでした…。でもオイラはあれから好い事がいっぱいありました。南方先生が来て、江戸は凄く変わりました。これからも変わります。咲様の事を今は分からない人もいますが、きっと江戸の最初の女医になると思います。神様は、きっと乗り越えられる試練しか与えられません…死んだら駄目なんです。生きてなければ笑えないんです。と言ってくれました。私は頂きますねと言って食べました。私はあの子に救われました。」と言います。
 仁も「私もです。」と言って、涙を流します。
 咲がそこに来ていました。栄は咲に「負けは許しませんよ、咲…お前は戦の様な人生を歩むでしょう…選んだのはお前です。橘の家に泥を塗った…勝ちなさい…くじける事は許しませんよ…楽しみにしております。咲…」と言います。こうして咲の勘当は解けました。

 仁はいつもの場所に来て考えていました。「神のゆるした行為、許さなかった行為。その違いは分からない…この手を止めては何も分からない…」
 仁は、象山からもらった網の袋の中から、平成二十二年の十円玉を見つけます。そこには咲もいました。「ある方からもらったものです…」と言って十円玉を見つめていました。
 「心のままに…まずは江戸の町から脚気を救おう…」

 仁友堂は、脚気の薬として、餡ドーナツを売る事にしました。これで収入を得る事が出来るようになりました。この続きが楽しみです。

 いよいよ仁の完結編が始まりました。物語自体はSFで有り得ない事なのでしょうが、現代の青年医師が、幕末の偉人達とかかわって、その考え方をどう変化させて行くか、興味の持てる作品です。
 第一部では、緒方洪庵という医学史に残る大学者と遭遇させました。もちろん技術的には現代の医学を学んだ仁の方が上ですが、医の道という哲学においては、仁は洪庵の足もとにも及びません。仁は洪庵からいろんな事を学びました。洪庵も仁が未来から来たという事を気付いた上で、仁をかばい育てました。
 第二部ではどうなるのかなと期待していたのですが、さすがになるほどと思わされました。それは、仁と佐久間象山を遭遇させた事です。佐久間象山と言えば幕末の怪物です。軍学者でありながら、エレキテルで電気治療器を発明したり、カメラを作ったりしています。その佐久間象山が、子供の頃タイムスリップして、現代に来た事があるという設定はうなずけました。
 そして、象山に言わせた言葉「オマエがうらやましい…オマエには知識がある…その知識を使え…」すると仁が「それは許される事でしょうか。」と聞くと象山が「それこそが神の意思じゃ…歴史を変える為に、つべこべ言わずに進め…もしオマエのやった事が意に済まぬ事であったならば、神は取り消す。神はそれほど甘くはない…進め、進むのじゃ…」と言います。
 この言葉を聞いて、仁は救われたと思います。目の前に患者がいる。医師として救うのは当然ですが、素直に救えない気持ちが仁にはありました。それは歴史を変えるという事でした。神への冒涜ではないかという考えでした。しかし、この言葉を聞いて、目の前が少しは開けたように思います。それは、仁が龍馬に、龍馬の未来を教えようとした時に、いつもの発作が起きた事でも分かります。龍馬に未来を教える事は、神の意に済まない事だったからです。神はちゃんと仁を制御していました。

 それから喜市は、かわいくて賢いですね。自分が母を思う気持ちと重ねて、栄の病気を心配する優しさ…子供で純粋だから出来るのでしょうが、断られても断られても、毎日餡ドーナツを持って行く根気強さ…栄は喜市の優しさに負けて、病気が回復しました。生きる意欲がわいて来たのです。そして栄は咲に「負けは許しませんよ、咲…お前は戦の様な人生を歩むのでしょう。…選んだのはお前です。橘の家に泥を塗った…勝ちなさい…くじける事は許しませんよ…楽しみにしております。咲…」と言います。これが江戸時代の母の強さと優しさなのかもしれません。

 最期に、仁を見ていて思い出した事があります。それは私が子供のころに見ていた、タイムトンネルというアメリカのドラマです。主人公がタイムトンネルという未完の装置を整備していて、誤ってタイムスリップするのですが、行く時代の先々で誠実に生きるのですが、悩む事はやはり仁と同じような事でした。時空を超えるSFの世界は、今も昔も史実と神の意志が大きなテーマなのかもしれません。
    

2011年4月16日土曜日

東日本大震災(南三陸町)天使の声

神様は、時として試練をお与えになります。なぜなのでしょうか。人知には分かるはずもない事です。
まるでノアの箱舟のように、人や街を飲み尽くしていった大津波。その大津波から町民を守るために、防災無線で叫び続けた若き女性公務員《南三陸町危機管理課広報担当 遠藤未希さん(24)》人はこの女性公務員の声を「天使の声」と言っています。
「あの声を聞いて、逃げなければと思った…あの声に救われた人が大勢いると思う…」
でも、遠藤未希さんは、大津波に飲み込まれて行方不明になっておられます。結婚したばかりのご主人は、「逃げて欲しかった…そして、生きて欲しかった…他の人に何と言われようとも…」とブログに書いておられます。
また、お母さんは「最期まで頑張ったって、いろんな方に言って頂いたけど…親とすれば、やはり助かって欲しかった…私たちは、未希から守られたと思っています。本当にいい子でした。」と仰っていました。
遠藤未希さん、ありがとう。あなたのことは決して忘れません。そして残された者は、未希さんの為にも、この試練を乗り越えなければなりません。
日はまた昇ります。マザーテレサの言葉に「苦しみ、それはともに受け入れ、ともに担いあう時、喜びとなる。」とあります。無力感・虚脱感を振り払い、前を向いて、ともに立ち上がりましょう。一歩一歩踏みしめながら、ともに歩いて行きましょう。あなた方は,決して一人ではありません。「頑張れ東北・負けるな日本」日本の底力を見せましょう。
どうか神様、良き方向にお導き下さい。

追記(2011年5月2日)

防災無線の女性職員 死亡確認

津波が町を襲うなかで、住民の命を救おうと防災無線で避難を呼びかけ続け、その後、行方が分からなくなっていた宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さん(24)が亡くなったことが確認されました。父親は「やっと娘が見つかり、よかったという気持ちはある一方、寂しい思いが募ります」と話しています。
宮城県南三陸町の危機管理課の職員、遠藤未希さんは、東日本大震災の当日、役場の防災無線を使い、押し寄せる津波から避難するよう何度も住民に呼びかけました。この呼びかけを聞いた多くの住民が命を救われる一方、役場自体が津波にのみ込まれる大きな被害を受けて遠藤さんの行方は分からなくなり、家族などが捜し続けていました。父親の清喜さんによりますと、先月23日に南三陸町の湾内で未希さんとみられる遺体が見つかったということで、警察のDNA鑑定の結果、震災から50日余りたった2日になって未希さんだと確認されました。未希さんの左足には、去年7月に結婚したばかりの夫、正喜さんがプレゼントしたオレンジ色の「ミサンガ」が巻かれたままだったということです。父親の清喜さんは「ずっと捜してきたので、やっと娘が見つかってよかったという気持ちはありますが、もう戻ってこないと思うと寂しい思いが募ります」と話していました。

NHK 5月2日 15時28分

遠藤未希さんのご遺体が、ご主人や御父母様のもとへ戻られたそうです。心よりご冥福をお祈りいたします。
by kei

追記

震災で不明の南三陸職員の遺体発見 遠藤未希さんの親友 


 三浦亜梨沙さんが母悦子さんに送った最後のメール
 宮城県南三陸町の防災対策庁舎で津波に流され行方不明になっていた同町職員三浦亜梨沙さん=当時(24)=の遺体が1月に町内のがれき置き場で見つかっていたことが6日、分かった。DNA鑑定を終え、今月に入り無言の帰宅をした。
亜梨沙さんは、防災無線で町民に避難を呼び掛け続けて亡くなった同町職員遠藤未希さん=当時(24)=と高校の同級生。剣道を通じて小学生時代からの知り合いで、役場でも仲の良い親友同士だった。
警察庁のまとめでは、大震災犠牲者の遺体発見は今年に入って2人だけ。
2012/02/07 02:02 【共同通信】
 
 三浦亜梨沙さんのご冥福を心よりお祈り致します。 by Kei
 

2011年4月8日金曜日

東日本大震災へ支援の輪が広がる(久留米市)

東日本大震災への支援の輪が、私の住む福岡県久留米市からも広がっています。

被災地へ給水車や消防隊員などを派遣

久留米市は、姉妹都市の福島県郡山市の要請を受け、3月13日、職員10人で組織する給水支援チームを派遣しました。支援チームは水2000リットルを積める給水車や、災害用の給水タンクを乗せたダンプカーで給水活動を行ったほか、救援物資として缶入りの飲料水や給水袋を現地に届けました。
県内各地の消防隊員で組織する緊急消防援助隊として14日、久留米広域消防本部からもレスキュー部隊や救急部隊の11人が出動。宮城県亘理郡山元町でレスキュー工作車や救急車による救出・救助活動を行いました。
さらに、長引く避難所生活を強いられている被災者の健康相談や心のケアを行うため、24日に保健師2人を含む職員3人を派遣。県と合同で宮城県内で活動しています。

郡山市へ緊急救援物資が無事に到着

3月17日、マスクや紙オムツなどの緊急救援物資を積んだ10トントラックが、市役所を出発しました。救援物資は郡山市からの情報を基に調達したマスク8万枚、紙オムツ約2万5000枚、粉ミルク336缶、タオル5万枚など。ドラックは18日に到着し、郡山市災害対策本部に救援物資を引き渡しました。

自衛隊や医療チームも現地で活動

陸上自衛隊久留米駐屯地は隊員約800人と車両200台を救援隊として派遣。また、久留米大学病院や聖マリア病院も、県の災害派遣医療チームDMAT(ディーマット)に医師や看護師を派遣しました。

被災者を市営住宅で受け入れ

家屋が倒壊するなどの被害を受けた人や、避難地域に指定された地域から来た人などを対象に、3月19日から市営住宅40戸への受け入れを行っています。入居手続きは土・日曜、祝日を含む8時30分から17時15分まで住宅政策課で受け付けています。
(問)住宅政策課(☎0942・30・9086、FAX0942・30・9714)
広報くるめ 4.1 より
(注)
久留米市と郡山市の姉妹都市関係は、明治11年11月11日、安積原野の開拓の為に、久留米藩士141世帯585人が入植した事が縁で、昭和50年に結ばれたものです。

チャリティーのお茶会

久留米市六つ門町の商店街では、被災者支援の為のチャリティーのお茶会が開かれました。
企画したのは商店街の女性で結成された「おかみさん会」で、今日はメンバー15人が買い物客などに義援金を呼び掛け、寄付してくれた人には抹茶とお菓子を無料で振舞いました。
集まった義援金は日本赤十字社を通じて、被災者の援助と災害復興などに使われるということです。
RKB毎日放送 2011.3.25

被災地にゴム長靴
アサヒコーポレーションが3890足送る

久留米市の靴メーカー「アサヒコーポレーション」は25日、東日本巨大地震で被災した宮城県に向けて、自社製品のゴム長靴3890足を発送した。被災地の多くは、津波の被害による海水が残ったり、がれきが散乱したりして足場が悪く、被災者の復旧作業などに役立ててもらうのが狙い。
長靴は24~30センチのサイズを用意。本社倉庫では、従業員が長靴が入った箱をトラックに積み込んだ。
同社は、仙台市をはじめ東北地方に複数の営業所を置いている。現地社員には地震発生後、しばらく家族と連絡が取れなくなった人もいた。幸い全員の無事が確認されたが、同社の末次善広・総務グループ長(51)は「今回の災害は他人事には思えない。一刻も早く被災地へ届けたい」と話していた。

昭和建設 本社に義援金1000万円

住宅建設販売会社「昭和建設」(久留米市)の戸田誠二社長が25日、福岡市中央区赤坂1の読売新聞西部本社を訪れ、太田宏社長に東日本巨大地震の被災者への義援金1000万円の目録を手渡した。義援金は、読売光と愛の事業団を通じて届けられる。同社は被災地に事業所はないものの、甚大な被害を報道で知って支援を決めた。戸田社長は「被災された方々に早く元気になってほしい。少しでも現地の皆さまの力になれば」と話していた。
以上 読売新聞2011年3月26日 朝刊 筑後版

九州の野菜を岩手に 久留米市場、自粛イベント予算を充て

東日本大震災の被災地を支援しようと、福岡県の久留米市中央卸売市場で4日、九州産を中心とする青果物を運ぶ10トントラックの出発式が開かれた。熊本産キャベツや鹿児島産ジャガイモなど27品目が積み込まれ、岩手県大船渡市の大船渡青果と大船渡市魚市場に向け出発。地元市場を通じて避難所などに配送されるという。

市場関係者でつくる久留米市中央卸売場自治会が実施。午前11時15分ごろ、関係者20人に見送られて「緊急災害支援物資輸送車」と大きなステッカーを付けたトラックが発車。大津留健次会長は「市場でできることを考えた。配送網を使って被災者へ届けてもらい、早く元気になってほしい」と話した。

自治会は、3月の九州新幹線の全線開通に伴って開くはずだったイベントの自粛により余った予算を充てたり、生産者から提供を受けたりして、救援物資として加工や保存が容易な野菜を中心に集めた。
msn 産経ニュース 2011.4.4 12:10

追記(2011年4月14日)

被災地へ久留米の農産物

東日本大震災で被災した人たちに味わってもらおうと久留米市の農協が野菜や米などおよそ10トンを13日、岩手県大船渡に向けて送りました。
久留米市は特産のつばきを通して岩手県の大船渡市と交流があることから、JAくるめが農産物を現地に送ることを決めました。
市内の農家が提供したキャベツや大根、レタス、トマトなどの生鮮野菜をはじめ、米、それに、フリーズドライのみそ汁、合わせておよそ10トンが集められました。JAくるめ園芸連流通センターで久留米市やJAの関係者など50人ほどが出席して、出発式が行われ、初めに東日本大震災の犠牲者に黙とうを捧げました。
続いてJAくるめの緒方義範組合長が「皆さんにご協力頂き、被災地の様子を見ながら今後も2回、3回と支援物資を送りたい」と挨拶しました。
野菜などを積んだトラックは関係者に見送られて出発15日、大船渡市の災害対策本部に到着する予定です。
NHK福岡午後8時45分のローカルニュース
2011年4月13日

久留米市は、ゴム工業と医者の町ですが、農業も盛んです。特に園芸は、ツツジとツバキが世界的に有名です。今年も4月5日~5月5日まで、久留米つつじまつりが開かれています。
久留米つつじまつりは、日本三大植木市の一つで、150種、30万本のツツジやその他の植木・盆栽が出品されています。

 追記(2011年4月15日)

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
被災地への支援を拡大

 久留米市は東日本大震災の救援本部を設置し、給水チームや消防隊員の被災地への派遣などを行って来ました。発生から1か月が経過し、長い避難所生活を強いられている被災者の健康管理や、ライフラインの復旧などのため、引き続き職員を派遣しています。また、本市に避難してきた人への支援も始めました。
(問)市救援本部事務局(0942・30・9779、fax0942・30・9706 )

 掲載している各種支援の内容は4月7日時点のものです。最新情報は市ホームページで随時お知らせします。HP http://www.city.kurume.fukuoka.jp/

保健師を派遣し心のケアや健康相談

市は、厚生労働省の要請を受け、保健師2人を含む職員3人を健康管理支援チームとして、3月24日から7日間の日程で宮城県石巻市に派遣しました。支援チームは福岡県と合同で石巻市内15か所の避難所を回り住民の皆さんの健康相談や心のケアを行いました。その中で、医療を必要とする人の情報を医療チームに報告し、医療につなげるなど、避難者の状況に応じた支援を行いました。また、引き続き支援が必要な避難者の情報は、石巻市の保健師へ引き継ぎました。

姉妹都市郡山市への支援

4月7日、姉妹都市である福島県郡山市の要請により、保健師2人を派遣しました。同市の保健師と協力して避難者の健康状態のチェックや健康相談などを行っています。
生活に欠かせない水道水は応急的な復旧作業がほぼ完了し、給水状況は改善しています。しかし、いまだ漏水箇所が残っており、早急な調査が必要です。市は5日から上下水道部の職員2人を同市に派遣し、配水管の漏水調査を行っています。また、同市に向けて2回目となる救援物資を積んだトラックが、3月28日に本庁舎を出発し、30日に無事到着しました。

救援物資や避難者用住宅を募集

 現在、市内5か所で缶詰や歯ブラシなど救援物資10品目の受け入れを行っています。また、被災地から本市に避難してきた人の住まいを確保する為に、市民の皆さまが無償で提供できる住宅や部屋の登録を開始しました。併せて、ホームステイを受け入れることができる家庭も募集しています。皆さんのご協力をお願いします。

1億円にのぼる義援金ありがとうございます

このたびの震災によりお亡くなりになられた皆様に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
わが国観測史上最大の巨大地震がもたらした被害の現状を目の当たりにされた市民の皆様から、被災地の一日も早い復興を願う気持ちとして多くの義援金が寄せられました。募金による義援金の総額は、このほど1億円に達しました。皆様のご好意に対し厚くお礼申しあげます。
また、3月29日から受け入れを開始しました救援物資についても、多くの皆様から避難生活を送る上で必要な数多くの物資を提供していただいており、重ねて感謝申し上げます。
市としても、刻々と変化する被災地の状況を的確に把握しながら、被災地の希望に沿った支援や被災者の受け入れ態勢の整備などに全力で取り組んでいきます。
同震災による被害は甚大であり、被災地への支援は長期化するものと見込まれます。被災地の一日も早い復興をお祈りしますとともに、皆様の物心両面にわたる温かいご支援を引き続きよろしくお願いします。

久留米市長  楢原 利則

広報 くるめ 2011.4.15

追記(2011年4月21日)

久留米から支援物資被災地へ 

東日本大震災の被災地で役立ててもらおうと、久留米市は、市民や企業などから寄せられた日用品などの支援物資を、現地に送りました。
久留米市では、東日本大震災の被災地に送る支援物資を、市民や企業、団体などから受け付け、先月末からこれまでに集まった物資は、10トントラック1台分になりました。
支援物資は、水や缶詰、牛丼の具などの食品やゴミ袋、ティシュペーパーなどの生活用品などで、830個の箱に詰められ、それぞれに応援メッセージが添えられました。
そして、ボランティアの人たちが、物資の送り先の福島県いわき市、宮城県気仙沼市、岩手県大船渡市の3か所ごとに物資を振り分け、トラックに積み込みました。
トラックは、橋本政孝副市長から「安全確実に送り届けて下さい」と声をかけられ、集まった人たちが見送る中、被災地に向け出発しました。
久留米市によりますと、支援物資を積んだトラックは、20日の午前から午後にかけて、いわき市、気仙沼市、大船渡市の各災害対策本部に到着する予定だということです。

NHK福岡 午後8時45分ローカルニュース
2011年4月18日

追記(2011年4月21日)
 
被災業者ら対象 支援窓口を開設
久留米市

 久留米市は20日、東日本大震災で、研究開発や事業展開に支障を来している事業者や研究機関、研究者を対象とした支援窓口を設けた。
被災地では、福島第一原発事故に伴う電力不足で、操業への影響のほか、菌の培養や実験動物の管理などバイオ企業への影響が懸念されている。
久留米市内には産業団地のほか、バイオ産業集積を目的に、県と市などが出資する第三セクターが管理するバイオ企業向けの賃貸オフィスや賃貸工場がある。
市の支援窓口では、被災地の事業者などに研究開発施設を紹介するほか、関連機器の貸し出し、データの検査・分析の委託を受けられる大学などの関係機関をあっせんする。
問い合わせは市企業誘致推進課(0942・30・9135)へ。

読売新聞 2011年4月21日 朝刊(筑後版)

注記

福岡県久留米市は、人口30万人の田園都市ですが、日本の近代ゴム工業の発祥の地で、科学技術の先進地でもあります。久留米大学医学部は、80年以上も前からこの地に根を下ろし、その恩恵を市民や近県の人々に与えています。
久留米市は、九州のクロスロードに位置し、九州新幹線も開通しましたので、九州各県に簡単に交通のアクセスが出来ます。また、福岡国際空港にも近く、同空港からは、東北各県に直行便が何本も飛んでいます。その上、同空港からは、アジア各国に直行便も飛んでいますので、海外進出にも適しています。久留米市は、研究開発型の企業には持って来いの立地です。
by kei

追記(2011年4月28日)

東北の地酒飲んで応援 博多の左党、積極消費の集い

東北3県の産品、福岡で品切れ続出 アンテナショップ

青森県、秋田県、岩手県の東北3県の産品を販売している福岡市天神地区のアンテナショップ「みちのく夢プラザ」では、日本酒や菓子などの棚に空きが目立つ異例の事態が起きている。被災地を支援しようと買い物客が急増。震災以降、売上は約2割増えたという。

三陸産ワカメなど一部の水産加工品は欠品が続くが、大半の商品はほぼ平常通りに入荷。それでも「品物によっては2倍のペースで売れ、入荷後数日で店舗から無くなる」(同店)。特に岩手県産の地酒や銘菓の「ゆべし」は大半が棚から姿を消している状況だ。

福岡県太宰府市に住む瓜生泰子さん(75)は、広島に住む親せきへの手土産を買いに立ち寄った。「いつもは福岡の産品を持って行くが、買い物が支援につながるなら」と、かごいっぱいに菓子などを買い込んでいた。

4月中旬、同店に出張販売に来た山ブドウ果汁加工メーカー、佐幸本店(岩手県久慈市)の商品の売れ行きは、震災前の出張時の3倍。同社も被災し、生産能力は3割減った。佐々木一常務は「地元で販売できない状況なので、出張販売で岩手にお金を持ちかえりたい。福岡のお客さんは皆『頑張って』と声をかけてくれる」と目に涙を浮かべる。岩田屋久留米店(福岡県久留米市)や大丸福岡天神店(福岡市)でも販売する予定だ。

日本経済新聞 4月25日 Web刊

福岡労働局など 被災者の就労を支援

震災により東北から避難してきた被災者の就労を支援しようと、福岡労働局や福岡県、経済団体など21の組織による協議会が開かれました。

福岡県には、現在336人の被災者が福島や岩手などから避難してきており、20人が失業保険の給付手続きを行ったということです。

農業や漁業などの従業者も多く、被災者が望む就労を支援していきたいとしています。

株式会社TVQ九州放送ホームページ
2011年4月26日 15:39 

救援物資受け付け 30日で一時中止に
久留米市

久留米市は26日、東日本大震災の被災地に送るため、市民から募っている救援物資の受け付けを30日でいったん中止すると発表した。被災地で当面必要な物資が確保できる見通しとなったため。
市はまた、3月14日以降に寄せられた義援金の総額が1億1468万円(22日現在)に上り、第一次送金分として1億円を日本赤十字社に、1000万円を姉妹都市の福島県郡山市に送ることを明らかにした。

読売新聞 2011年4月27日 朝刊 筑後版

追記(2011年5月4日)

久留米大医療チーム出発式

福島県新地町に派遣

久留米大(久留米市)は2日、東日本大震災の被災地・新地町に、同大として初めて派遣する医療チームの出発式を行った。6日に第1陣が現地入りし、22日まで、5日間交代で4陣に分けて派遣する。
派遣チームは医師、看護師、各2人、薬剤師、事務職員各1人の計6人で構成。被災地では医療スタッフ不足が続いており、日本医師会が各地の医療機関に派遣要請をしている。救急医療から慢性疾患がある被災者対応へ医療ニーズが変化しているという。
出発式で、第1陣の坂本照夫医師(60)は「慢性疾患を抱える高齢者の診療と、被災者の心のケアが求められている。現地で全力を尽くしたい」と語った。

読売新聞(2011年5月3日) 朝刊 筑後版


追記(2011年7月27日)

読売新聞 2011年7月25日月曜日朝刊

被災地支援 医師が報告

久留米 今後の課題など提言


震災被災地の医療支援について語る聖マリア病院の医師ら

東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市で医療支援活動を行った聖マリア病院(久留米市)が24日、久留米市櫛原町の久留米医師会館で報告会を開いた。診療などに当たった医師ら6人が、市内の医療関係者ら約200人に現地の実情を伝え、今後の支援のあり方などに提言を行った。
大震災発生後、岩手県から要請を受けた同病院は、陸前高田市竹駒地区の公民館に臨時診療所を開設。3月24日から6月30日まで医師や看護師ら計127人を15班に分けて派遣した。
被災地の様子や支援活動のDVDを上映後、6人が発表。保健師の橋口ちどりさんは避難所で被災者のニーズを探る傍ら、感染症の有無を観察したり、要介護者や子供の表情に気を配ったりした事を報告した。橋口さんは「数日で保健師が入れ替わることもあり、情報をつなぐ努力が必要だった」と課題を挙げた。
また、医師の浦部大策さんは、災害時は外傷治療だけでなく入院や手術、術後管理などの役割分担のほか、感染症対策が求められると強調。そのうえで「必要なものを考え、現地の状況を数値化してまとめ、外に伝えていくべきだ」と提言しました。


(注)
社会医療法人雪の聖母会聖マリア病院は、聖マリア学院大学と保健医療経営大学を傘下にもつ診療科目全35科、総病床数1,354床の総合病院です。通常は救命救急や周産期医療など地域に根差した総合病院ですが、災害時の医療支援や国際医療支援なども行っています。
kei

追記(2011年8月3日)

読売新聞2011年7月31日 日曜日 朝刊 筑後版

被災地の子笑顔に
絵本3800冊読んでね
保育園などに贈る 福教大準教授呼び掛け


お礼の手紙を受け取り、喜ぶ
西門司学童クラブの児童たち



 東日本大震災で被災した保育所などへ絵本や筆記用具を届ける活動が広がっている。福教大の丁子かおる準教授(幼児教育)が県内外の保育園などに呼びかけたことがきっかけで、集まった善意は絵本だけで少なくとも約3800冊に上っている。
(中西瑛)

 丁子さんは4月中旬、宮城県石巻市出身の知人から、市内にある公立保育所の3分の1が津波で流され、絵本やクレヨン、画用紙などが不足している状況を聞かされた。「被災地の子供の孤独感やつらい気持を和らげたい」と、同大の職員や学生らに呼びかけて自宅から持ち寄ってもらったり、大学図書館から提供してもらったりして約400冊を集めた。
 北九州市門司区の西門司学童クラブ(児童数34人)では、丁子さんから連絡を受けた指導員の今村真美さんが児童の家庭や地域住民に協力を求め、1か月で絵本約600冊と大量のクレヨンや筆箱、ぬいぐるみなどが寄せられた。
 同クラブでは、段ボール箱に応援メッセージや折り紙などを貼り、6月中旬に物資を集約している宮城県石巻市の蛇田保育所に送った。約3週間後、同保育所と市内の3学童クラブから、届いたばかりのクレヨンを使い、「だいじにやさしくつかいます」「元気に頑張ります」などと書かれたお礼の手紙が届いた。
 ほかにも、今村さんから声をかけられた大里南市民センターは、管内の小学校や保育園などとともに絵本約1800冊を石巻市に送った。丁子さんと付き合いのあるひかり幼育園(宗像市)や赤坂ルンビニー園(佐賀県有田町)を始めとした保育所、幼稚園からも1000冊が寄せられた。丁子さんは「こういった支援が復興を助ける大きな力になる」と話している。

郡山の小中学生 久留米で夏の思い出

坂本繁二郎生家を訪ねた子どもたち
東日本大震災の被災地、福島県郡山市の小中学生ら37人が30日、姉妹都市の久留米市を訪問した。8月2日まで滞在し、ホームステイなどで地元の子どもたちと交流を深める。
久留米市子ども会連合会と郡山市子ども会育成連絡協議会の青少年親善交流事業で、毎年夏休みに交互に訪問しあっている。今年は震災の影響で実施が危ぶまれていたが、無事に実現した。
一行は新幹線で久留米入り。JR久留米駅で関係者に拍手で迎えられ、中学1年の上ノ内暖(のどか)さん(12)が「久留米での4日間を思いっきりエンジョイして、夏休みの思い出をいっぱい作りたい」とあいさつした。この後、久留米市出身の洋画家。坂本繁二郎の生家を訪ね、冷たいお茶とアイスのもてなしを受けた。
滞在中はホストファミリー宅などに宿泊しながら、靴メーカー・ムーンスターの協力で靴の手作り体験をしたり、くるめ市民流水プールで地元の子どもと一緒に遊んだりする。
福島県では、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、学校の校庭や屋外プールが使えない所もあるといい、小学6年の黒羽永遠(とわ)君(11)は「福島ではあまり外で遊べないので、プールで泳ぐのが楽しみ」と笑顔で話していた。


追記

2011年11月1日(火曜日)読売新聞筑後版

震災復興を支援 郡山市長が感謝

久留米市役所訪問


 東日本大震災で被災した福島県郡山市の原正夫市長が31日、姉妹都市の久留米市役所を訪れ、義援金や職員派遣などの復興支援に対する感謝の言葉を述べた。
 両氏は1975年8月、明治時代に久留米藩士が郡山へ入植した縁で姉妹都市になった。郡山市は震災で家屋や公共施設など計約52000件が損壊し、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う除染作業も進められている。
 久留米市は震災後、職員計36人や給水車を派遣。市民から寄せられた義援金1000万円、公費による見舞金1500万円、日用品などの支援物資を送った。
 市職員や市民ら約200人に拍手で歓迎された原市長は「物心両面で本当に助けられた。しっかり復興していきたいので、変わらぬ支援をお願いしたい」と謝辞を述べ、久留米市は市民からの義援金1000万円を新たに送った。



2011年4月4日月曜日

母が好きだった桜の道です(陸上自衛隊幹部候補生学校フェンス沿い)

 母の好きだった桜の道を散歩がてら歩いてきました。母は草花が好きで、この季節、桜の花を見るのが好きでした。病院やデーサービスの行き帰りに、少し遠回りをしてこの道を車で通ると、何時も「ワァー綺麗!」と言って、生き生きとした顔で喜んでくれました。

 この桜の道は、陸上自衛隊幹部候補生学校(前川原駐屯地)と第四特科連隊(久留米駐屯地)のフェンス沿いに数km連なっています。
 毎年久留米駐屯地では、駐屯地内で桜の花を一般公開して、市民の憩いの場として提供しています。

 今年は、東日本大震災の影響で、一般公開は中止されたそうです。久留米からも大勢の自衛官が派遣されています。無事の帰還をお祈りしています。

 散歩のついでに写真を撮って来ました。興味のある方は見て下さい。







2011年4月1日金曜日

東日本大震災によって気付いた事(自衛隊の実力)

 東日本大震災が起きて、一つ気が付いた事があります。それは、自衛隊には実力があるという事です。これまでの自衛隊は、阪神・淡路大震災の時に、救助及び復興支援で活躍をして、国民から一定の認知を得ていましたが、関西の一地域による限定的な活動で、救助隊の域を出ていなかったように思います。また国連のPKO活動にも参加はしていましたが、憲法の制約などもあって、他国に比べれば派遣回数も少なく、より安全なところを選んでのものでした。よって自衛隊には、日陰の身で張り子の虎というイメージが付きまとっていました。しかし、東日本大震災以後の活動を見ていると、そのイメージは払しょくされたように思います。

 東日本大震災が起きて、わずか数日で10万人(陸自69,000人、海自15,400人、空自21,300人、原子力災害派遣部隊500人、計106,200人)体制を敷きました。そして、艦船52隻・ヘリコプターは、陸海空あわせて、196機・固定翼機326機を展開しています。また、史上初めての予備自衛官の召集も行っています。これは、自衛隊員の22年度末実数、陸自141,223人・海自41,940人・空自43,270人・総数229,897人(他に統合幕僚監部・情報本部などがあり総数とは一致しない)の5割弱にあたります。これらの指揮を統一する為に、陸海空統合部隊を設置し、陸上自衛隊東北方面総監を指揮官に任命しています。ここまでの流れを見ているとスムーズで、国民に安心感を与えたと思います。

 救助・救援活動はもとより、津波と原発事故で寸断された物流を民間では回復出来ないと分かると、航空自衛隊松島基地、花巻・福島空港、三陸沖に護衛艦ひゅうが(ヘリ空母)を派遣し、これらを起点に自衛隊機や自衛隊の車両を使って物流を回復しようとしています。特に、この様な時に、ヘリ空母を沖合に派遣して活動するという発想は、自衛隊にしか出来ない事だと思います。

 また、原発事故に対して、当然東京電力や消防が当たるものだと思っていたのですが、東京電力ではどうしようもない事が分かると、自衛隊の特殊機関が乗り込んできて、防護服の貸出や放水活動等に関わっています。また、原発の建屋が水素爆発によって吹き飛ばされ、残骸を取り除く為に、放射線に強い戦車をブルドーザー代わりに使用するなど活躍しています。
 サリン事件の時、防護服などの装備を警察に貸出していた事は記憶に有ったのですが、まさか原発事故等の放射能対策をしていた事は知りませんでした。(限定的な核戦争に備えての研究をしていたのかもしれません。)

 また、在日米軍との連携も上手く行っているようです。
 アメリカ軍は、原子力空母(ロナルド・レーガン)を始め20隻の海軍艦艇と140機の航空機を被災地の沖合などに派遣し、およそ13,000人態勢で大規模な支援活動を続けています。この支援活動を「おともだち作戦」と名付け、通常であれば在日米軍司令官が指揮を執るのですが、今回は一階級上のウォルシュ米海軍太平洋艦隊司令官が指揮を執っています。これらの事から考えてみると、事実上初めての日米安全保障条約による米軍の出動と考えてもよいのではないでしょうか。
 アメリカ軍は、救助や物流だけではなく、原発事故に対しても、放射能専門部隊140人を日本に派遣しようとしています。そして、これらの作戦を円滑に進める為に、自衛隊の統合部隊本部に現場の作戦担当者を参加させています。この危機に対して、日米一体となって取り組んでいます。

 この日米一体となって行われている救援活動を周辺諸国は、鵜の目鷹の目、あるいは戦々恐々と見つめているようです。
 その証拠として、ロシアは東北地方に160人以上の救援隊を派遣し、水や毛布の提供を行っていますが、一方で、ロシア軍機は17日、21日に我国の領空に接近しています。もちろん自衛隊機がスクランブルを掛けて追い返しています。また中国は、被災民の救助活動や病院船の派遣などを申し入れしていますが、東シナ海ガス田の東方海域で、26日に警戒監視中の護衛艦いそゆきに異常接近をしています。我国の防衛組織が東日本大震災に集中している時に、防衛体制を為しているように思われます。
 我国は、中国の病院船を震災によって港に接岸出来ないという理由で、派遣を断っていますが、病院船といえども中国軍の船です。民間の船よりは情報収集能力はあると思います。そんな船を日米の防衛組織が展開している真っ只中に入れる事は危険な行為ですし、逆をいえば、中国軍はそれを狙っていたのかもしれません。
 また、この日米一体となって行われている救援活動を沈黙の眼差しで凝視している国があるとするならば、それは北朝鮮かもしれません。なぜならば、いざ有事の時に、日米の連携が大きな障壁になる事は明らかだからです。

 言うまでもなく、これらの事は図上演習ではありません。実際に起きている事です。それに対して自衛隊は、粛々とこなしています。それ相当の実力が無ければ、こなせるものではないと思います。また、地元の自衛隊員も被災者である事を忘れてはいけません。しかし、自身の家庭は二の次にして、国民の為に献身的に活動しています。この規律と国民への思いが、何よりも自衛隊の実力の証しだと思います。

 追記(2011年4月10日)

 2011年4月9日 読売新聞 (朝刊)

「自衛隊の震災救援は80点」

中国が分析

 【北京=佐伯聡士】中国の胡錦濤政権が、東日本大震災後、自衛隊がいかに救援活動を展開し、日本の防衛力がどのような影響を受けたかを注視し、冷静に分析している。
 中国紙「中国青年報」は、国防大学の専門家による総合評価として、自衛隊による救援活動に「80点」をつけた。この専門家は、松島基地(宮城県東松島市)のF2戦闘機などが壊滅的な被害を受けたことや、陸自の装甲車、戦車も海水につかった点を指摘した上で、「自衛隊が少なくとも15%の戦闘力を損失し、自らも復興が必要な中、半数近い兵力(10万人)を動員した。こうした機動力が戦場で出現していれば、精鋭部隊といえるだろう」と評価。

動員10万の機動力を評価/原発事故対応は不合格

 その一方で、「事前に準備された通常の救援活動では余裕があり、自在に対応できるが、(原発事故対応など)通常でない大規模な作戦行動を遂行する能力は不合格だ」と結論付けた。
 また、中国共産党の幹部養成機関である中央党学校の機関紙「学習時報」は「大地震が日本の全体的な軍事力に巨大な影響を与えた」とする論文を掲載。損失について、「日本のミサイル防衛システムも大打撃を受けた可能性がある。」「軍事力の損失に比べ、軍事力を支える基礎的工業力の損害状況が一層深刻だ」とした。
 「中国国防報」は特に、「地震が日本の軍事工業に与えた影響はどれほど大きいか」との見出しで、「自動車、鉄鋼、電子、エンジンなど日本の軍需工業に対する潜在的な衝撃は無視できない」などと伝えた。


 やはり中国は、東日本大震災の救援活動を目を凝らして見つめているようです。自衛隊の救援活動をいろんな機関が分析しているようです。私は防衛問題は素人なので、この分析が正しいかどうかは分かりません。
 ただ言える事は、自衛隊は専守防衛に対応して編成されているということです。自ら攻め込むという能力は持っていません。よって、いざ有事の時は、アメリカが前面に立つことになります。自衛隊は、「アメリカの後方支援をする」ということが定説となっています。これだけの機動力と戦力を持っている自衛隊が、後方支援をする日米一体型の戦闘能力は、周辺諸国には、脅威に感じると共に抑止力になると思います。
kei

追記(2011年5月12日)

自衛隊 陸海空統合10万人部隊

非常任務 士気保つ隊員

体験語り合い、心理負担を緩和

君塚栄治指揮官(陸自東北方面総監)に聞く

 未曽有の災害に自衛隊は初めて、陸海空の部隊を一元的に運用する統合任務部隊(JTF)を編成、10万人態勢で救援活動に取り組んでいる。震災から50日余り。君塚栄治JTF指揮官(陸自東北方面総監)に現状と課題を聞いた。
(編集委員 勝股秀通)

 ◆事前に地域割り

 ●県や市の自治体から医療関係者に至るまで、震災直後は自衛隊の情報だけが頼りだったと言う。
 「東北6県で勤務する自衛官と事務官は2万人。全員が様々な形で救命活動にあたるため、所属ごと事前に担当する地域を割り振るっていた。彼らは地震と同時に動き出した。その後は、御用聞き作戦で避難所を回り、被災者が何人いて、何が必要なのか、という情報を集め、それを集計して県などに伝えた。事前の準備が功を奏したと思う」

 ●現在の10万人態勢をいつまで続けるのか。
 「10万人は象徴的な数字。『全力で支援する』という意味と同義語だと思う。行方不明者の捜索は最終局面に近づき、我々が活動する3原則、すなわち緊急性、公共性、非代賛性にかなう任務はかなりの部分終わってきた。だが、今回は要請されて次々に任務が生まれている。我々からいつまでというゴールを引くことはない。自治体や被災者のニーズの変化に対応する中で体制は変化すると思う」

 ●原発事故への対応では現場から不満も多い。
 「2度目の水素爆発(3月14日)が起きた時は、すぐ近くの病院で入院患者を移送している最中だった。爆発の危険性など知らされておらず、正確な情報がなければ我々は動けない。現実に起こる事故を想定してあらゆる訓練が必要だ」

 ●基地業務にも相当な支障を来したと聞くが。
 「全国から続々と隊員が集まり、基地業務は機能不全となった。例えば駐屯地の給食。効率化を目的に外部委託しているが、震災で業者が被災し、普及後も普段の5倍や10倍の食事など作れない。基地業務は自衛隊の活動を支える基盤だ。平時を前提にした効率化は再検討すべきだと思う」

 ●米軍との日米共同作戦は見事だった。
 「米軍は上から下まで『日本を助ける』という意識で統一されていた。ただし問題もあった。当初、彼らには何ができて、何ができないのか、分からなかった。災害時に米軍の能力を生かす調整手段がなかったことは今後の課題だ。彼らにとっても相当なジレンマで、調整後は、仙台空港や離島、鉄道、学校の復旧などで実を結んだ」

 ◆家族が死亡・不明

 ●妻や子と連絡が取れないまま出動した隊員も多かったのではないか。
 「我々が被災者になることは想定していなかった。震災の発生は部隊が動きやすい時間帯だったが、多くの隊員が家族と切り離されてしまった。家族の安否も分からないまま、任務にまい進しなければならなかった。親や妻子など2親等以内の肉親を失った隊員は200人以上、いまだ家族の安否が不明な隊員も90人を超す。本当に頭が下がる」

 ●行方不明の捜索が長期化し、隊員の精神的な負担が気掛かりだ。
 「心理学など専門教育を受けた幹部を集め、部隊を巡回させるなど組織として対応している。すでに救命の段階は終わり、隊員たちは『家族の一員を一日でも早くお返しする』という気持ちで頑張っている。それでも遺体を収容する度に、部隊では隊員たちが車座になって体験した話を口に出し、次の日に引きずらないようにしている。そうした隊員たちの努力と連帯感が活動を支えている」
読売新聞 2011年5月4日 朝刊



 近年、行政改革によって、自衛隊の定員や予算が削減されていますがそれで良いのでしょうか。今度の東日本大震災で明らかになったことは、警察や消防の皆さんも頑張っておられますが、大規模災害が起きた時に、最終的に救助・救援・復興の主力として活動するのは自衛隊だと言うことです。しかし、自衛隊には本来の業務もあります。この国難の時に、火事場泥棒のように、戦闘機で押し掛けてくる国もあれば、警備活動をしている護衛艦に、ペリコプターで挑発行為をする国もあります。せめて、定員だけでも増やすべきではないでしょうか。安全にはコストが掛かります。

 また、阪神淡路大震災以来、一般的な防災については、自治体と自衛隊が連絡を取り合って訓練や情報交換などがされているようですが、原子力関係については、そのような事が成されているとは聞いたことがありません。今度の原発事故を教訓にして、自衛隊を含めた安全対策を構築すべきではないでしょうか。

 また、これから30年の間に必ず起きると言われている東海沖地震が、単発ではなく東海・東南海・南海と連動して起きた場合、東日本大震災のような大津波が起きると思います。その場合、太平洋ベルト地帯という我国の心臓部が被害にあうことになります。その時の準備もしておかなければなりません。首都機能の分散は言うまでもありませんが、企業の経営体制の分散も必要となると思います。また、救助・救援・復興の主力は勿論自衛隊だと思いますが、その為の法整備や予算も今から考えて置くべきです。

 最後に、今回の大震災で、自衛隊員はよく頑張っていると思います。頭が下がります。ありがとうと言わせて下さい。無事に帰還されることを心よりお祈りしています。
by kei